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20114/5

「震災を巡る言論空間は何処にあったか―「論壇時評」を読む―」 前川英樹

朝日新聞「論壇時評」の、東浩紀氏の担当連載が今回で終わる。毎回、言論の場としてのインターネットについて教えられることが多かった。そして、その最後に大災害がやってきた。「バブル崩壊後、あるいは高度経済成長時代から何十年続いてきた『終わりなき日常』が突然断ち切られる、そんな暴力的な瞬間に私たちは遭遇してしまったのである」という。そう、その通りだ。というより、もっと前から連続している<時間>=日本近代の切断という予感さえしている。このことは、前回触れた。

「・・・今後ネットワークリテラシーは、好事家の趣味や若者文化としてではなく、災害時には生死に関わる必要不可欠な能力として捉えられるべきだろう。とりわけ子供や高齢者、障害者など社会的な弱者のネットリテラシーこそ重点的に整備されるべきである。災害時に電話は使えない。ソーシャルメディアの利用経験の有無は、被災地の生活の質に大きな差異を生んでいる」。ここでは、ソーシャルメディアとは、ケータイの電話、メール利用ではなく、ネットワーク機能による情報の受発信のことのように思えるが、それで良いのだろうか。
「あやプロ」のあや取り手、河尻さんや志村さんのメディア体験を読めば、確かにそのように思われる。だが、高齢者のリテラシー対策は難しい。多分ほとんど無理だ。今の何歳かは分からないけど、ある程度日常的にソーシャルメディアに接している人たちが「高齢化」するまではダメかもしれない。わが身を省みてそう思う。だから、ソーシャルメディアが使えたら生き残れたのに、というケースがあるとすれば、それもまた高齢者の生き方だ、としか言いようがないように思えるのだ。
ただし、高齢者には高齢者のやること、役割、そして言い分があるのである。それが若者のそれより軽くて良いというものではない。だから、「電話は使えないけど、ソーシャルメディアは使える」という状況があるとすれば、それは若者が年寄りのために使うしかないのであって、それを“ソーシャル=共同性”というのではないだろうか。

「もし今月もっとも緊張に満ちた『論壇』がどこにあったかと問われれば、それは新聞でもテレビでも週刊誌でもなく、専門家と一般市民が混在し、真実を求めて侃々諤々の議論を交わしたネットだったと応えざるをえない」
「・・・言論人に求められる役割も変わる。メディアに言論を提供する役割から、自らメディア『になる』役割へ。事件を事後的に分析評価する役割から、リアルタイムで変化する現実に介入しリスクを取る役割へ」
そう、これはそうだと思う。最近、例の?「融合論」が静かなのは、そんなことを言いたてる理由がなくなってきたからで、明らかに「言論空間」としてネットの機能が強くなり、その役割が大きくなってきたからだ。そのくらいは「高齢者」の僕でも推測可能だ。

問題は「融合」ではなく、実はマスメディアの立ち枯れの方だ。
「テレビ危うし」と思うのは、そうした状況を知っていながら(知らなければ論外!)テレビ報道、テレビ編成に変化が見られないからだ。TBSなどがストリーミングでテレビ情報を流しているというが、それは当然のこととして、テレビそれ自体の問題提起能力の枯渇であろう。
「民放 経営四季報・春」(民放連研究所)では、この大災害に関する「1時間以内の情報接触メディア」ではテレビが7割という調査結果を掲載している。テレビは強い。そしてラジオ情報も大変役立っている、という。問題はその先だ。
東氏の言い方を借りれば、メディア記者は自分がメディア「になる」のが仕事だろう。メディアになるということは、客観報道と自分が何を見て何を伝えるかということとは同じではないと気づくことである。それがドキュメンタリーの入り口である。記者の仕事とドキュメント制作とは違わない。そこにテレビあるいはラジオが、ソーシャルメディアとは違う存在理由を見つける可能性がある、少なくとも今のところは。そしてそれは「記録する」ことから始まる。記録には記録者も記録されるという意味で、記録は大いなる主観である。河尻さんの言う「入れ子構造」のハブ化は、そのあたりから考えてはどうだろう。

東氏は、森川嘉一郎氏のツイート「若い世代の『おたく文化』の表現は長い間強固な日常性への信頼の上に構築されてきた。したがって、今次震災は長期的で本質的な影響を与えるであろうという洞察」に注目し、「『萌え』『クールジャパン』の文化もまた、この震災で大きな節目を迎えたのかもしれない」という。震災<後>の意識が深まる中で、こうした指摘は鋭いと思う。森川ツイートを読んでみた。「おたく文化」について、ぼくが理解しているとは言えないし、どの程度のレンジでこの大震災と歴史の関係を見るかにもよるが、こうして“ポスト大震災”の日本のイメージがさまざまに語られる時期に入りつつあるように思う。

TBSメディア総研“せんぱい” 前川英樹

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいからNHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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