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201210/12

大炎上生テレビ 視聴者は言わせてもらえたのか?(反省篇)

いま、長崎から義母が来ている。パソコンをやらない義母の情報源はもっぱらテレビで、「ああ、テレビとはこういうものだったなあ」と懐かしい気持ちになっている。と、テレビを見ている義母の横でスマホやパソコンをいじくっている私です。30年後のオレたちが、こういうテレビのミカタに戻ることはあるのかなあ?

さて「大炎上生テレビ」の反省篇である。制作スタッフにとって、最高に盛り上がった生放送の舞台ウラについては前回書かせて頂いた。キニナル視聴率は放送された関東地区、北海道地区共に2.2%(ビデオリサーチ調べ)。数字は決して良いとは言えないが、深夜番組としてはまあ…という感じだろうか(甘いか)。

番組について、録画で見たテレビ関係者の評判があまりよろしくない。
「賛成&反対の視聴者アンケートは面白かったが、テレゴングとどう違うのか?」
という感想もあった。確かに視聴者へのアンケート調査ということだけなら、テレゴングの方が勝っている部分も多い。
しかし今回の試みは、セカンドスクリーンであるスマホorパソコンorタブレットから投票ができ、自分のツイッター・アカウント名もテレビ表示することができる(かもしれない)こと。しかもテレビ番組の進行に従って、セカンドスクリーンに映し出される「番組ホームページ」のスタンプやアンケートなどが順次更新されていくことが売りだったのだ。

リアルタイムでテレビを見ながら、セカンドスクリーンで「番組ホームページ」をご覧頂いた皆さんには、まるで「私」のスマホが「テレビのリモコン」になったような「一体感」「つながり感」を感じて頂けたのではないかと思う。
セカンドスクリーンからテレビ画面に“あしあと”を残すという「リアルタイムでしか味わえない体験」を、「録画」視聴から想像することは難しい。
もちろん「テレビ番組」としての評価は甘んじて受けなければならないのだが。
反省材料は多い。そもそも「オレにも言わせろ!」の「オレ」=「視聴者」だったはずだ。しかし実際に「言ったった!」と思えた視聴者は、何人いただろうか???

反省① 埋もれてしまったスタンプ
バスキュールのアプリ「サッカー日本代表STADIUM」からアイディアを頂いたスタンプだったが、氏家さんも書いていたようにテレビとなると、視聴者からの大量のスタンプが殺到し、「私」のスタンプを見つけられない状況になった。「MAKE TV」と同じである。
自分のアカウント名を、テレビ画面で確認できた視聴者から「まるで、ズームインの後ろで手を振っているような新しい快感!」という喜びの感想を頂いた一方で、大多数のアカウント名を表示されない人たちから「も~ワケわからん!」というような不満多数。まあ、これはある程度、想定内ではあったのだが。

反省② 少なすぎたツイッター表示
最大の反省点は、ツイッターの表示方法にあった。これは
「なぜツイッターを常時、表示しないのか」というクレームに尽きる。
番組では、ツイートを連射する「火柱ツイート」とスタッフが選ぶ「ちなみにツイート」の2種類の出し方を用意していたのだが、
「『火柱ツイート』は、字のスピードが速すぎて読めない」
「『ちなみにツイート』は、なんの基準で選ばれているのかわからない」
「スタンプのリアルタイム性にこだわったのに、ツイートのリアルタイム性にはなぜこだわらなかったのか」など、キビシイ意見が相次いだ。
リアルタイムウェブであるツイッターは、ファクスとはまったく違う。ツイッターは放っておくと鮮度を失い、番組の都合で表示した時には干からびてしまっている。ツイッターは「ナマもの」なのだ。
スタンプで「参加感」を味わうことのできなかった視聴者を「繋ぎとめる」重要な武器だっただけに、ツイッターを生かし切れなかったことは大いに悔いが残る。

もちろん、視聴者全員の“あしあと”をテレビに反映することはできない。でも、運がよければ「私」のアカウント名またはツィートがテレビに出るかも知れない。その可能性を感じることできたら、宝くじを買うような感覚で楽しむことができたのではないか? 残念ながら「大炎上生テレビ」が、そのティッピング・ポイントをとらえたとは逆立ちをしても言い難い。

肝心の番組そのものの評価については、以下の真逆の感想が象徴的だ。
テレビ関係者;
「あたまのカンニング竹山、西野翔の主張までは番組として成立していたが、あとはグタグタ・・・。もっときちんと仕込むべきだったのでは?」
ネット関係者;
「後半、視聴者に聞く辺りから、面白くなった。もっと自由に政治ネタ等に触れてもよかったのではないか?」
前川さんが「『ソーシャル×テレビ』という発想をコンセプトにまで高められなかったのか?」と書いていたが、確かにその通り。
テレビ的にがちがちに作ってしまえば、視聴者の参加する余地がなくなり、ユルユルに作ればグタグタに見えてしまう・・・(個人的には、ユルユルグタグタの方向に新しさがある気がしているが)。
番組を終えて、局内外の方々から声をかけられることが多くなった。「ソーシャル×テレビ」がトレンドである証しだろう。幸い、TBSには「革命テレビ」「MAKE TV」に携わった優秀なスタッフとインフラがある。試行錯誤を続けるっきゃない!!

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  • 山脇伸介
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