あやぶろ

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20143/13

メディアの違いは希薄になり、あらゆるコンテンツは混沌の中に

『これからは、テレビ番組も、ネットのいろんな動画も、ゲームも、電子書籍も、ニュースサイトも、ソーシャルメディアも、一度みんなバラバラになってから渾然一体、混沌となる。デジタルネイティブたちは、その中から好きなものを取り出して自由に楽しむ。きっとパッケージは意味をなさなくなる。』

これは昨日、我らが志村一隆さんのJBPRESSでの新しいエントリー『コンテンツクリエイターを搾取から解放する仕組み』を拝読して、思わずFacebookに書き込んだコメントだ。

志村さんはこの記事の中で、5歳や11歳の甥っ子たちにとって『いちばん身近な動画はテレビ番組をネットにアップしたものではなく、ゲームの実況動画なのだ』と書いている。

うちでもそうなのだ。3歳になる孫娘もiPadを使いこなし自分で見たい動画をYouTubeで探し出す。端で見ているとそれはプリキュアだったり、アンパンマン(テレビ番組を違法にアップしたものみたいだが)だったり、アニメの曲に合わせて踊っている動画だったりと様々だが、どれも数分の短いものだ。
もちろんテレビも見るが、なぜかテレビのコントローラーには触ろうとしない。彼女にとってテレビは、「自分が見たいものを見せてくれる存在ではないから」だ。何しろテレビは、今、放送している番組しか見られない。子ども向けの番組などあまり放送されないので、最初からテレビは関心の対象外なのだ。それに録画した番組も、飽きて途中で止めた時、他の見たいものを探すのが面倒だし選択肢も少ない。

だからデジタルネイティブたちは、膨大なアーカイブがあるYouTubeやニコニコ動画から自分が見たいものを探し出して見るようになる。こうしたネイティブたちはどんどん増えているので、視聴率は低下を続けテレビ離れは進んでいく。

志村さんはさらに、甥っ子は『ゲームの実況動画をYouTubeにアップするのが夢らしい』、『身近にツールがあれば、誰もがやってみたくなるのが人情である。』と書いている。
いきなり多くの人がYouTubeに動画をアップし始めるかというと、私は疑問だ。
ただ、スマホの動画撮影は非常に簡単で、SNSへも簡単にアップできる。ただしうちでは、孫の遊ぶ様子などの動画はSNSで公開はせず、家族内だけで共有する程度だ。動画を画像のように多くのユーザーがどんどん投稿するには、もう一工夫必要だ。
その工夫が、最近の動画アプリでは、よく考えられている。撮った6秒の動画を簡単にアップできループ再生するVineや、2秒×6カット、計12秒の動画を簡単に撮れて編集しアップするメチカブーラなどのアプリも登場し、扱いの面倒な動画も、画像並みに簡単に見栄えのするものが撮れて、FacebookやTwitter、LINEにアップできるようになってきた。
このように次第に動画が身近なものになっていけば、何年か後には大きな流れになるだろう。動画を扱うアプリやサービスも、さらに増え、テレビ番組の競争相手はどんどん増えるだろう。

画像も動画も簡単に共有できるようになったのは、デジタル化とインターネットによる。コンテンツは、デジタル化されれば全てをインターネットに乗せられるようになる。

ユーザーは、スマホさえあれば、YouTubeもニコニコ動画も、Huluも、ゲームも、漫画も、小説も、ニュースも、ブログも、ソーシャルメディアも、ありとあらゆるコンテンツがいつでもどこでも楽しめるようになっている。
テレビ番組もデジタル化されている。だからインターネットに乗せるのは簡単だ。
過去1週間分の全局の全番組がいつでもどこでも見られるようになるのは、意外に近い将来なのではないだろうか。というより、これを実現できないとテレビの影響力はますます低下し、媒体としてのパワーを失い衰退していってしまう。

しかも、自分が見たいものがピンポイントで探し出して指定できる。これが意味するのは、一つのコンテンツ全てを見るのでなく、見たいところだけを見るようになるということ。
コンテンツはバラバラになり、小ピース化し、ちょっとした時間にすぐに楽しめるようになる。それはテレビ番組であろうと、ゲームであろうと、小説、漫画であろうとみな同じだ。全てのコンテンツが渾然一体となり混沌の中に放り込まれ、同列になる。
デジタルネイティブたちは、その中から自分の見たいものだけをピックアップする。

志村さんはこの記事の最後で『これから映像やゲーム、小説、音楽といったコンテンツは融合し、ゴチャ混ぜになるだろう。そろそろ、それに会わせたメディアデザインを描いてもいい時期であろう。』と、締めくくっている。
志村さん、さすがに鋭い!

デジタル化とインターネットで、メディアの違いすら希薄になっていく。メディアの違いより、プラットフォームの違いの方が大きな影響を持つようになる。
そしてコンテンツの単位、パッケージは意味をなさなくなる。そんな時代にはどんなメディアデザインがふさわしいのか、そしてテレビ局や新聞社、出版社、ゲームメーカーなどコンテンツ・プロバイダーは、どのように姿を変えていくのだろうか。

氏家夏彦プロフィール
「あやぶろ」の編集長です。
テクノロジーとソーシャルメディアによる破壊的イノベーションで、テレビが、メディアが、社会が変わろうとしています。その未来をしっかり見極め、テレビが生き残る道を探っています。
1979年テレビ局入社。報道(カメラ、社会部、経済部、政治部、夕方ニュース副編集長)、バラエティ番組、情報番組のディレクター、プロデューサー、管理部門、経営企画局長、コンテンツ事業局長(インターネット・モバイル、VOD、CS放送、国内・海外コンテンツ販売、商品化・通販、DVD制作販売、アニメ制作、映画製作)、テレビ局系メディア総合研究所代表を経て2014年6月現職
テレビ局系企業2社の代表取締役社長
放送批評懇談会機関誌「GALAC」編集委員)

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