あやぶろ

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20144/4

BSデジタル黎明期余話(1)

都内に引っ越してきて髪を刈るのを美容院にしてみた。(刈る髪が少ないので3ケ 月に一度ぐらいしか行かない)
マスターは50がらみのおしゃれな職人で話し好き。
いつとはなしにテレビが詰まらないと言い出し「最近はBSをよく見るんですよ」と言う。
僕は鏡の中で快哉を叫んだ。

僕は1998年のBS-TBS(当時はBS−i)会社立ち上げから出向の形で身を置いた。
最近では見る人が増え評価も上がってきたので、この際1998年会社立ち上げから2000年12月の放送開始前後の記憶(記録は無い)に残る事柄や人を思い出すままに書き置いてみたい。
余話である。

*BS新会社への出向余話
僕は1998年夏頃はTBSで人事労政局長と言うポストにいた。当然BS社に出向させるメンバーを決める(または社長に提案する)立場だ。その時期編成に居て変わる時期に来ていた石原君(現TBS社長)を一本絞りで押した。
それで、ある人が石原君に「誰を一緒に連れてゆくか」希望を聞いたらば「城所しか居ない」と言っているという。
こうして2人は海か山か分からぬBSデジタル会社の常務として、後ろ向きの言い方なら刺し違えて、良く言えば手を携えて出向した。(これがデジタルの事を知り幅広い方々との交際も出来た愉しい時期の始まり。
石原現TBSテレビ社長もテレビの新しい時代を体感するいい機会となる)

*「BSは敵だ」
TBSは砂原社長・井上専務・飴井常務(当時)などは将来に向けてBSデジタルを育てて置こうというお考えだったと思う。
しかし現場に近づけば近づくほど皆地上波の視聴率や予算達成を背負っているから、簡単にBSに協力するわけにはいかない。
番組の再利用も別の会社だから料金が発生する。よその局が高く買えばそちらに売る。地上波の番組の中で「この後BSではこういう番組をやりますよ」などと10秒裂くお知らせもダメである。地方局も勿論BSは困る。
TBSの役員の中にも「BSは敵だから協力無用」と公言する人までいた。

*某全国紙A社
BSの放送を始めてから間もなく全国版一面全部使って「BSデジタルは無用の長物」と言う大見出しの奇怪な記事が出た。視聴者代表として73歳のご夫婦が「BSは何の役に立つのか分からん。」「リモコンが難しくて使えない」と言っている。「千日で1000万台なんてチャンチャラ可笑しい」などの羅列だ。生まれて間もない新生児にはこのネガキャンペーンのような記事のダメージは大きかった。
僕はこの記者に2時間も取材を受け、イギリスの取材アテンドまで手伝ったのに、BS−iの同僚からは「城所が女性記者に甘いからこうなるのよ」などとごもっともな陰口も出る。よほど頭に来たのでBS8社代表で大胆にもA社の編集局長(その後社長)に抗議に行った。この時の抗議文は普段書き流しが多い僕としては異例の緻密な反論を3日もかけて一生懸命書いた。そしてその後会社辞めるまで保存しておいた。

*「上手くいくわけない」「メーカーの陰謀」
当時BS新会社では社内の番組調達や編成は石原君、対外関係や技術問題は僕と手分けしていたので僕は良くシンポジュームや普及のための行事に出た。大体出る話は消費者団体から「余計な高いテレビを買わせるメーカーと郵政省の策謀で国民はデジタル転換の犠牲者だ」「1000万台も普及するわけがない」「テレビはボーっと見るメディアで、パソコンが有れば要らなくなる媒体だ。デジタル化は無駄な社会投資だ」などの意見が必ず出た。
新しいことを始めるのに周囲の好意は期待すべきではない。自力でやる覚悟が必要だ。他力本願の僕にしては珍しくこの時期そう考えた。

*「BS8社会」
BSデジタルはプラットホームがない。共通の仕様や普及作戦、次々発生するデジタルならではの難問には「BS8社会」と言う会合を作って対応した。「BS8社会」は各社の専務常務クラス、つまりその場で決めることができるメンバーで作って、NHKの立派な会議室で毎週、時には週2度3度開いた。
文字通り放送を出す側の決定機関となり、全国の電器店やNHK、民放の施設でのキャンペーンやデモ、録画やコピーのコントロールのあり方、郵政省との対応などは何でもここで話し合って決めた。1999年から半年くらいまでの間に200回も会議を開いた。
NHKの和崎理事、BS朝日の斉田専務、(当時)それと城所の3人が幹事をやった。
最初は3人幹事で交互に司会などしていたがそのうち手ぬるいと思ったのかNHKの和崎氏が毎回司会で力強く会議を進めた。僕は彼を「ゴリちゃん」と呼んで居たが、NHKは既にアナログ衛星放送を持っていたので経験の蓄積がある。全国の受信技術陣中心に膨大で強力な推進体制を持っており、海老沢会長も積極的にバックアップしていたので、悔しいけれどゴリちゃんが居なければ普及やメーカーなどとの交渉は進まなかったであろう。
彼は司会しながら40本ぐらいショートピースを吸うので結構危ないと思っていた。
その後変転して今はWOWOWの社長である。相変わらずエネルギッシュな活動をしている。が、この人の欠点は仕事中毒。僕は良く「仕事3割・家庭3割・恋愛3割・ゴルフ1割ぐらいのエネルギー配分にしなさいよ、」とからかっている。
8社会のもう一人の幹事はBS朝日の斉田専務(当時)。大先輩だが失礼ながら朝日文化人の一タイプで、会議では力づくの和崎氏と無原則な僕によく原則論を説いて迫った。
しかし決める時になると柔軟な妥協の名人でもあった。とにかく爽やかな人で体育会航空部にしてはユーモアのセンスも卓抜である。深刻な内部対立が生じると斉田さんのユーモアと僕のアバウトさが役に立った。今は厚木で小説家である。(小説家と言うのは普通は小説を「発表した人」だが、「書いている人」も小説家に分類してもいいと思う。)どうやら埋もれつつある処女作は米ソ時代の壮大な小説らしい。

*受信機メーカー
デジタル放送はもう成熟しているアナログと違って、放送を出す側と受ける受信機が全面的にマッチしていないと映らない、と言うことを僕はしばらくしてから理解した。特にデータ放送と言うデジタルの要の機能はそうである。
そこで和崎氏や斉田氏と諮って、市場占拠率が高くBSへの出資もしていたソニー・パナソニック・東芝の受信機部門のトップに出ていただいて勉強会と言うか飯食い会を立ち上げた。これも最初は毎月開いていたと思う。
1999年2月11日国民の祝日にパナソニックの坂本俊弘さん(当時AVC社副社長、のちにパナソニック副社長)を大胆にも東京のホテルに呼びだし「デジタル放送番組のコピーを制限する事はメーカーと放送界の共通の利益である」と言う文書に署名してもらったりした。(放送側だけで経費負担させられたらたまらない)
それでも放送側と受信機がうまく連動せず放送初日にダウンした受信機もあったし、歌手が動くと首や手足が画面からはみ出して切れてしまうような受信機も出たりした。デジタル放送は放送局とメーカーの共同作業でないと上手くゆかない。これは今後の4K8Kやテレビのデジタル機能を使った新しい試みにも心しておくべきことである。

*忘れられない事と人々
民放局ではどの局もBSに経営資源をつぎ込む事への疑問が幹部の間に強かった。また初期は他社に走らせておいて普及するまで体力温存を露骨に図る局もあった
TBSでは一計を弄して幹部会の席に先ほどのパナソニックの坂本さんに来ていただいて、メーカーは本気でデジタル時代が来ると判断していること、普及の見通しなど前向きな話を1時間ほど講義していただいた。
大体どこの経営者も部下の言う事よりは外の人の言うことを信ずる傾向がある。坂本さんの話も非常に効果が有ったと思うが、砂原社長(当時)が「坂本さん、今のお話は城所に頼まれて言ってるのではないですね?」と念押ししたりして坂本さん以下皆で笑った。

このほかメーカーではTBSの場合NECさんに大変お世話になった。
藤江さんと言う当時常務がいらして、本当によく指導いただいた。
有るとき技術担当の飴井常務、生井取締役(のちのBS-TBS社長。黒字化させた)と3人でNECの立派な応接室で金杉専務(のちに社長)に出資のお願いをした。
3人で懸命に事業計画などをご説明したが金杉さんはにこりともせず何も言わない。
まずいなーと空気が重くなったところで藤江さんが突然「あ、そうそう、城所さん服部道子との飯、セットできるかもしれないですよ」とびっくりするようなことを言った。僕が服部さんの追っかけなのは結構知られていたが、結局出資については金杉さんは無言で怖い顔のままで終わった。
帰り道生井君と飴井さんが「これで城所のせいで10億円ダメになった」などと冷たい目で見たが、後日藤江さんからOKのお返事をもらった。
藤江さんが全部やってくれていたのだ。
藤江さんは今は情報処理推進機構の理事長でオフィスが巣鴨に近いので、僕が発病した時巣鴨地蔵まで願賭けに行って下さった。

放送開始当時は小泉総理の人気絶頂期で「感動した」の一言が流行語だった。
そこでBS-iにいた政治部出身の社員などが計をめぐらした。
総理官邸前に50インチのデジタルテレビを並べてオペラ「椿姫」を各社共同で流し、小泉さんに出てきてもらって「画面が綺麗で感動した」と言ってもらう、
それを地上波のニュースなどで流すという趣向だった。
小泉総理は約束通り受信機と各局の人気女子アナの前に出てきてくれた。ところが「このオペラは良いんだよねー」とオペラの中身談義になってしまって、結局最後まで画面に感動したとは言っていただけずに終わってしまった。この大がかりな仕掛けの失敗は8社会で暫く笑いのネタになっていた。

--場合によっては続く--

BSデジタル黎明期余話(続編)に続く

 

元TBSテレビ特別顧問
2013年4月からTBSホールディングス顧問
TBSメディア総合研究所 上級フェロー
コンテンツのアジア展開に取り組み、BEAJ顧問。
「これからは日本経済のために尽くす」
骨髄異形成症候群で闘病中。

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