あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

© あやぶろ/OLD All rights reserved.

201112/25

「人間はボートを漕ぐように背中から未来に入っていく」―重延浩氏の「テレビジョンは『状況の時代』である」を読む―前川英樹

一時、ベンヤミンに魅かれたことがあった。
「パサージュ論」などを買ってみたが、今でもまだ書架に飾った状態のままになっていて、老後の楽しみといったところだ・・・もう、老後だけど。
で、「複製時代の芸術作品」や「歴史哲学テーゼ」など読み齧りながらふと頭に浮かんだのが、このフレーズだった。「人間はボートを漕ぐように背中から未来に入っていく」
結構良いフレーズで、ひょっとしたらベンヤミンがどこかに書いたのが刷り込まれたのかと疑ったけど、そうではないらしい。2003年に出版した「高度情報化時代のガバナンス」(共著 NTT出版)でも使っている。前川オリジナルということで進めよう。

未来のことなど誰にもわからない。人間は、未来と正対して生きているのではない。経験したこと、経験しつつあることが、私たちの背中から視界に入ってきて、眼前で像を結び、それを見つつその次に現れるであろう光景を想定するしかない。人間に見えるのは、今とそして過去だけである。人間は、背中から未来に入っていく・・・と思うのだ。
いま、テレビに起こりつつあることも、そうなのだ。<3.11>をどう考えるかは、その意味でもとても大切なことだと思う。このことは、今までも少し書いてみたし、これからも繰り返し語ることになるだろう。

というようなことを思いつつ、テレビマンユニオンニュース(No617. 2011.11.30.)で、重延氏の「テレビジョンは『状況の時代』である」を読んだ。
テレビは「放送の時代」、「構造の時代」、を経て「状況の時代」に入ったという認識と、スティーブ・ジョブズという、テレビ的情報空間を超える世界を作った人物の「価値観」を組み合わせてみせたところは、やはり慧眼というべきか。
重延テレビ論では、1970年までが「放送の時代」であり、そこには「未知の世界が広がっており、どういう媒体になるのか、未だ見当もついていなかったから生まれたテレビの独創」が多くの秀作が誕生した時代である。
次の「構造の時代」(1980~90年)は「放送が産業化した時代」であり、システムかと数値化に象徴される時代である。そこから「『独創性』と『高視聴率』を共存させる創造」が生まれた。
いま、「状況の時代」は「バブル崩壊」後の、デジタルテクノロジーの急速な進展のなかから生まれる。そして、「テレビメディア崩壊」説が徘徊するようになる。
重延氏は、このようにテレビの変化を概括する。そこから「テレビには同時に多くの人間が同じものを見ることがあるという圧倒的な媒体能力があるのではないか」というごく基礎的な事実を確認するという布石を打った上で、「目から鱗」の一言が登場する。
「もし、今、そんな媒体が白紙の状態で生まれたら、それは革新的媒体として、動き始めるだろう。・・・ネットを越える媒体として、全く異なる形のテレビ構造を構築しただろう。テレビが崩壊するというメディア論はその能力からして、ありえなかっただろう」と。そして「原点に戻るべきである。テレビという媒体を白紙で考えれば、驚くべき媒体なのだ」と続ける。
「ネットよりテレビが後から登場したら」という想定は、まことに鮮やかで説得的な切り口だ。こうした想定は、幾何における補助線のように、その一本の線によって世界が新たな相貌を持っていることを明示する。これだけで、重延テレビ論は一読するに値する。
こうした認識の、それこそ「原点」には、彼のテレビ経験としての「事象を生放送で見たという記憶」があり、それは<3.11>に、そして北朝鮮からのワールドカップ中継に繋がっていて、「(これは)ウェッブが決して越えることが出来ないテレビジョンの独創的価値」だという。
そして、「状況の時代」の新しい表現としての可能性を次の5点に集約する。
① 生放送-ただし、生放送の価値あるもの
② 長時間連続放送-ただし、長時間の目的が明快なもの
③ 特別企画-ただし、特別の独創性があるもの、クォリティーを極めているもの
④ 連動企画-ただしその連動は常識を越える連動で、テレビ以外との連動、日本以外の国との連動も視野に入れなければならない
⑤ そして最後に人間の共感を前提として考える企画

こう提言しつつ、「顧客の望むものを提供しろという人もいる。僕の考えは違う。顧客が今後、なにを望むようになるか、それを顧客本人よりも早くつかむのが僕らの仕事なんだ」というスチーブ・ジョブズの言葉を揚げ、テレビにとっても「まさにそれが「『構造の時代』と『状況の時代』の違いである」というのである。

さて、ここまで重延テレビ論を紹介してきたが、基本的に全く同感であり、「あやブロ」でも、あるいはそれ以前の「メディア・ノート」でも僕が書いてきたことに通じる。また、一部で予告している「ネットモバイル時代の放送」(民放連研究所)の一章として書き終わったばかりの前川論とも共鳴している。その上で一言付け加えるならば、彼がテレビ論を封印してきたこの5年間(*)で、実は「テレビ崩壊論」そのものが変化してきているということだろう。
* 重延氏は「過去の価値観が今までの歴史軸とは異なる形で変わるかもしれないという感覚を5年前から強く予感し、安易に未来テレビ論として語ることは出来なかった。しかし、今はテレビジョンの未来を客観的に意識できるようになった」という。

確かに今でも「活字衰退の次は電波メディアの没落」という論者は多い。しかし、例えば「あやブロ」に登場する人々は、テレビのメディア特性である「同時性・同報性」の強みや、テレビ(テレビ局、ではない)が構築してきたコンテンツ制作能力の高さ・強さを評価しているし、ウェッブとテレビの相関性(「入れ子構造」とハブ化)に強い関心を示しているのである。その意味で、彼らもまた重延論がいうところの「崩壊するとすれば、それはテレビジョンの一時代の構造でありテレビジョンではない」という点で、全く同じ地平に立っているのである。もちろん、どちらからその地平に立つかによって見える光景は違う。違うからこそ、コラボレーションが成立する。
ウェッブからテレビがどのように見られているかは、このように変化している。変化は一様ではない。ソーシャルとマスとの組み合わせをどう見るかによって、「どのようにテレビは崩壊しないか」という想定も多様である。しかし、何らかの形で相互に関係するであろうという点で、彼らなりにいろいろな試みをしたいと思い、テレビからの反応を探している。彼らに応えることも、テレビの可能性の一つなのである。
そう考えると、重延氏が挙げたテレビの表現としての可能性の5点のうち、①はメディア特性そのものであるのに対して、②、③は企画のバリエーションとも考えられ、他方④は①②③とは別の軸という位置づけであろうから、そうであるすると①と④が肝要ということになる。⑤は制作者として、そして経営者としての重延哲学であり、これも「旗印」の問題として欠かせないだろう。

テレビの過去を総括し、現在を見定めるところから重延氏がテレビ論を始めたことは、全くもって正当な方法である。まさに、「ボートを漕ぐように背中から未来に入る」とはこのことだ。そして、そこにもう一つ必要なのは、自分の視界に後ろから入って来て眼前に現れる光景を眺めつつ、次に現れるであろう状況を思い描く想像力である。先に、「ネットよりテレビが後から登場したら」という想定を「目から鱗の一言」といったのは、その意味である。あわせて、ウェッブ側でメディア体験している者たちが、どのように世界を見ているか、それも次に眼前に現れる光景を見定める私たちの想像力の内である。そして、同様に<彼ら=ネットによるメディア体験者たち>の想像力もまた試されている。

同世代から(重延氏は、僕とTBS同期入社)、こうしたレベルでテレビ論が提起されるのは嬉しい。強いて言うならば、確かに「説得的」だが、もう少し危険な匂いが欲しい…というのはどうだろう?何故といって、重延テレビ論はテレビジョンへの共感であり、また「表現の場」の確認のための宣言であるが、しかしそれは同時に「一時代のテレビジョンの構造」の「崩壊」を前提とするのだから、その「崩壊」の仕方について語らざるを得ないからだ。私たちは、遂にというべきか、漸くというべきか、あるいは自明のこととしてというべきか、はいざ知らず、「そのこと」を語るところまで来たのである。「背中から入ってくる『その光景』」はどのようなものであろう。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点⑤

停滞する民主主義が進化する途 ワールドカップの中継番組の瞬間最大視聴率が50.8%だったそうです。このニュースを見…

20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点④

ストレンジなリアリティー:ガンダムUC ep7を見て考えたこと 『機動戦士ガンダム』は30年以上前に、フォーマット…

20146/17

情報“系”の中のテレビジョン

6月は、いろんなことがある。 会社社会では6月は大半の会社の株主総会の季節だから、4月の年度初め、12月の年末とともに一つの区切りの季節だ…

20146/16

テレビというコミュニティ。あやブロというコミュニティ。

あやとりブログに文章を書くようになってかれこれ二年以上経ちました。2011年に出した『テレビは生き残れるのか』を読んでくださった氏家編集長か…

20146/13

ワンセグ全番組タイムシフト視聴は視聴率を下げるのか検証してみた〜ガラポンTV視聴ログより

リアルタイムの放送をテレビで視聴する人が増えることは良いことです。 言うまでもなくこれは「視聴率が上がる」ことを意味します。 &nb…

ページ上部へ戻る