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20139/17

「風立ちぬ」が語らなかったこと(稲井英一郎)

だから、戦前、戦時中にふつうに生きてきた人たちの中には、不満がくすぶるのかもしれない。あの時代の一般市民にとって、少なくとも昭和17年頃までは普通の日常があった。
自らを軍国少年だったと認める宮崎氏も、自分の父親から戦後になっても「いやあ、いい時代だった」と聞かされ続けたという。
だから、あの映画は、自分と、自分の家族と、ゼロ戦設計者の堀越氏など日本の技術者へのオマージュであり、それは今の閉塞状況におかれた子どもたちへの監督からの、単純だけど、ちょっと複雑なメッセージだ。

 

ただしその側面だけだったら、映画の物語性は成立しないだろう。戦前戦時の経験者しか深い共感を覚えないだろうし、美しくない。
物語性を高めるには、戦争遂行に協力しなかったと評価される当時の人気作家、堀辰雄の美しい「風立ちぬ」の世界観を、「堀越二郎」と宮崎監督の父親の「入れ子構造」の中に組み込むしかなかったのだろう。考え抜いた監督の偉才が発揮されたところだ。
私もゼロ戦に関するところでは、なかなか物語に入っていけなかったが、菜穂子との物語では人間としての二郎を感じて泣けた。
宮崎マジックでは現実と夢が織りなす。「ナウシカ」や「紅の豚」、「トトロ」「ラピュタ」などを連想させるシーンもふんだんにある。メッセージ性が一見希薄なことで、かえって色々な解釈が成りたちえる良さがある。

 

 

 

語りつがれるゼロの物語

 

「風立ちぬ」のテーマは重い。この映画を本当に理解するには、あの時代にいったい何が起きていたか十分把握しておいたほうが良い。
関東大震災も大災害の不気味さの一端は描写されているが、深川の陸軍被服廠跡で発生した火災旋風(炎の竜巻)などの凄惨さは描かれていない。震災はどちらかというと主人公とヒロイン出会いの場所として位置づけられている。
しかし様々な時代背景への予備知識があって、はじめてこの映画は本当の輝きを放つ。
おそらく宮崎監督もそこまで計算して作ったのだろう。

 

たとえば投入後3年間ほどは無敵を誇ったゼロ戦は、アメリカの総力をあげた技術研究で戦争末期にはいささか時代遅れとなった。そのうえ熟練技を誇ったベテランパイロットも多くの戦闘で次々と亡くなったことで、空戦での優位性が失われていった。わずか3年間の天下だった。
マリアナ海戦において制空権を奪ったグラマン機の米国人パイロットは、ゼロ戦から反撃される恐れがないことから、ゼロ戦とのドッグファイトは「七面鳥の散弾銃撃ち」と揶揄するほど一方的にゼロを撃ち墜した。

 

悲劇の名機ゼロは、最後は神風(しんぷう)特攻攻撃に使われ、二十歳前後の若い日本兵士の肉体と魂を彼岸に運ぶ道具になった。空戦で撃墜されるならまだしも、百%死ぬ「十死零生」の自爆攻撃は、いかほど若い特攻兵士に心理的な苦痛を与えたか、今のわたし達には想像すらできない。
映画の二郎は、最後はズタズタでした、1機も帰ってきませんでした、と淡々と語るだけで、それに乗っていた兵士に触れるわけではないが。

 

事実を知ると本当に過酷だ。
ゼロ戦に乗る特攻兵士には「眼をつぶるな」「速度を出しすぎるな」「60度から40度の急降下で命中させろ」という指令がだされた。
眼をつぶれば最後の照準が狂うから、人間の目視で命中させようとした。現在のトマホークであればIT技術管制で命中させられるが、そんなものは無論ないから、生きた人間を乗せて照準機代わりにしたのだ。
速く飛びすぎれば操縦桿の舵がきかなくなる。突っ込む兵士は、米艦船から雨あられのように放たれる砲弾の恐怖にさらされたはずだが、そこを耐えて眼をつむるなといった。
中低速で飛べば、撃墜される可能性が飛躍的に高まる。そして最後はまっさかさまに近い角度で急降下を実行しろという。
軍人勅語で、死は鴻毛(鴻の羽毛で極めて軽いことのたとえ)より軽いと幼いときから叩き込まれた当時の青年は、二十歳過ぎまでの人生と覚悟することが普通だったというが、それにしても、である。

 

おまけにゼロ戦は空戦能力を高めるために、ある意味で合理的かつ日本独自の設計思想をもっていた。軽量化優先のため、操縦士を守る防弾構造を捨てて設計されたのだ。
さすがに優れた天才技術者も、欧米よりも劣る工業技術力のもとで製造せざるを得なかったため、優先順位の低い機能は省いていったと堀越氏ご本人が書き残している。パイロット席の周囲は銃弾をくらったらひとたまりもなかったが、防弾は熟練パイロットの腕でかわすという思想だったのだ。

 

だから特攻機の命中率は低かった。ある海軍OBの調査によると、陸海軍あわせて2,483機特攻に使われ、命中したのは244機。たったの一割だ。

 

一方、こうした無謀な攻撃作戦令を下した大本営の参謀首脳の多くは、戦争終末期のポツダム宣言を受諾するか否か政府との議論で、「戦犯処置は日本人の手で」などと主張し、最後まで無条件降伏に反対した。軍の責任回避に汲々とする老人が多かったのだ。
若くて可能性のある世代に「十死零生」などという非人間的なことをさせてはいけないのだが、そうしたことも含めて、あの映画だけでは語り尽くせぬほど、戦前戦中に起こった事実は暗く重い。博覧強記の宮崎監督が知らないはずがない。

 

今回の「風立ちぬ」の世界を語り続けていくには、語られなかった諸々の先人の記憶を、これからも誰かが語り継がなければいけない。それを宮崎さんご本人がやっていただけるなら一番良い。
もしかしたら文春ジブリ文庫から刊行された半藤一利氏との「腰抜け愛国談義」も、その一環かもしれない。これを読めば、アニメ「風立ちぬ」の世界観への理解がさらに深まっていくだろう。映画と併せて読まれることを薦めたい。

稲井1

 

 

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
TBS入社後、報道局の取材記者として様々な省庁・政党を担当。ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。その後はIR部門で投資家との交渉にあたったほか、グループ会社でインターネット系新規事業の立ち上げに奔走。
趣味は自転車・ギター・ヨット、浮世絵など日本文化研究。新しいメディア経営のあり方模索中。

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