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20138/21

富士山からみえる過去・現在・未来①(稲井英一郎)

江戸八百八町にできた富士講

 

江戸における富士山信仰として、よく知られるのが「富士講」と「富士塚」の存在だ。
富士講とは、江戸初期に溶岩洞穴の中で修行した角行(かくぎょう)という人物を開祖とする当時の新興宗教である。

 

これが江戸中期にはいって、角行の流れをくむ「食行身禄」(じきぎょうみろく)という指導者の教えが爆発的に広がり、やがて江戸市中のほとんどの町に信者の組織である講がつくられ、俗に「江戸八百八講」に数十万人の信者がいるといわれるほど隆盛をきわめた。

 

富士講の信者たちは修行目的で、命がけで富士に登ったが、現地に行けない信者向けには、江戸郊外のあちこちに人工のミニチュア富士である「富士塚」が造営され、信者以外の庶民にとっても一大行楽地にもなった。
このことからも、富士山への信仰と愛着が、いかに江戸近郊の庶民にまで広がっていたかうかがい知れる。

 

一方、江戸幕府と武家には富士山信仰はなく、特に幕府は富士講を邪教とみなして禁令を出し、抑圧した。

 

 

富士信仰の背後にあった幕政批判

 

幕府が富士講を不快に思い、禁令を出したのには理由がある。
富士講中興の祖である食行身禄が享保18年(1733)、富士山七合目において断食で入定する前に書きのこしたものを読むと、当時の八代将軍吉宗が進めた「享保の改革」を非難していることが分かる。

 

大妻女子大学の上垣外憲一教授によると、この中で身禄は、米将軍といわれた吉宗の改革について
・年貢の取り立てを厳しくした
・米を買い占めさせ米価をつり上げた
・無駄に法度(法令)を厳しくした
などと、物価統制や倹約令をばっさり批判している。
中公新書『富士山―聖と美の山』

 

江戸後期の平戸藩主、松浦静山(まつらせいざん)も、身禄一派の信者、数十万人が、戦国の世の一向宗が親鸞を敬うように、身禄を尊び命も惜しまない、と書きのこしているように(同『富士山―聖と美の山』)、富士講は幕政批判の温床でもあった。
だから富士信仰が、幕末にかけて栄えていったのは、たびたび倹約令で締めつけた幕府に対する、江戸庶民の反骨精神、世直しを求める気持ちが底流にあったといえるだろう。

 

こうした下地があったところに、天保元年(1830)に売り出されたのが天才絵師、葛飾北斎の描いた浮世絵版画の名所絵揃物(シリーズ)「富嶽三十六景」だ。

稲井2

富嶽三十六景・凱風快晴(ウィキペディアより

 

富士山は、はるか昔から「聖徳太子絵伝」や「富士曼荼羅図」、雪舟の「富士三保清見寺図」など、宗教的にも崇高な名山として描かれ続けていた。
しかし、芸術レベルの創作動機(モチーフ)に富士をとりあげたのは、市井の浮世絵師である北斎が初めてだ。

 

江戸庶民は富士山が大好きだったから、この浮世絵は、それまでの名所絵販売の常識を覆すほどの数倍のペースで売れた。
売れて、売れて、一部はヨーロッパまで渡り、印象派の画家や音楽家のお手本になり、創作動機を与えるほどの影響を与えた。

 

かくして、芸術的な富士山のイメージや優れた意匠性を、明治以降の欧米社会に広く知らしめたのは江戸っ子の反骨精神であり、やがて世界遺産になる素地をつくったともいえるだろう。
しかし明治になって富士信仰は廃れてしまう。荷風の随筆にあるように、富士山や郷土美への素直な愛着も次第に失われていく。

 

その富士が、再び脚光を浴びるのは、明治の末期にナショナリズムと結びつき、また富士周辺の観光開発が進められるようになってからだ。
さらに太平洋戦争後の高度経済成長期は観光資源の面がさらにクローズアップされていく。
こうした変質にメディアは無力だった。その話は、また続き。

 

 

 

稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で投資家との交渉にあたったほか赤坂サカスの不動産事業やグループ会社のインターネット系新規事業の立ち上げに関わる。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。

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