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201112/31

「過去は思いのほか近いところにある―志村さんポストに誘発された幾つかのこと―」 前川英樹

河尻さんポストのせいだろう、久々に“LENNON LEGEND”や中森明菜がカバーした陽水のCDを聴ききながら書いている(『ロックとメディア社会』を読んでみようかな)。僕は、「音」がなくても割と平気な方だが、それでもたまに聴くとやっぱり良い。
どうして「音」がなくても平気なのかということは、多分志村さんが言う「青春探し」に繋がる。僕の心にはどこかひびが入っているらしくて、上手く「音」が捕まらないらしい。それに、中学から高校にかけて僕の環境に「音」はなかった。
僕たちの世代で「音」といえば、やはり「歌謡曲」が圧倒的で、あとは時折ラジオから流れる洋画のサントラくらいだった。家でクラシックをレコードで聴くというのは相当な贅沢で、電畜(電気蓄音機=レコードプレーヤーのこと)なんて持っているのは金持ちの家に限られていた。トランジスタ・ラジオはまだなく、カセットが登場するのはさらにずっと先で、それはウォークマンに、あるいはiPhoneに匹敵する革命だったろう。大学に入ると、名曲喫茶で本を読んだり、レポートを書きながら長時間粘る連中もいたが(特に、長い髪とペレ―帽の実存主義風女子学生など)、僕の趣味ではなかった。そういえば、「レコードコンサート」なるものが大学の小講堂で開かれるというので覘いてみたら、壇上にレコードプレーヤーが置いてあり、係の学生が恭しくLPをかけて引き下がると荘厳なクラシック音楽が流れ、一同瞑想して耳を傾けるという光景に出会ったことがある。思えば、馬鹿馬鹿しいやら可笑しいやらといったところだ。ジャズ喫茶に通う連中もいたが、僕のまわりにジャズはなかった。ラジオの洋楽番組で、プレスリーやポール・アンカに時々反応していた。学生運動に近いところでは、ロシア民謡などが歌われていた(50年代半ば、火炎瓶闘争の後に「歌って踊って」が来た)が、反抗的左翼的心情(というより、ポーズといった方が良いだろう)には響いてこなかった。
だから、60年代後半、フォークゲリラ現象の中で岡林信康などが登場したときは、衝撃的だった。GS(グループサウンズ)とほぼ同時期だっただろう。TBSの現場で、「Young 720」という“画期的”な番組のスタッフだったころだ。朝7時20分からGS(ジュリーのタイガースやショーケンのテンプターズ、など)やカルメン・マキ、浅川マキなど「異色」といわれた歌手たちを登場させたり、コシノ・ジュンコのファッションやテレビで初めての星占いで話題を呼んだ。ビートルズ来日も追っかけた。天井桟敷や状況劇場に注目し、若者が新宿から渋谷に移動していることをキャッチしたのも、この番組は早かった。司会は関口博、竹脇無我、黒澤久雄たちだった。この番組を見てからでなければ登校しない中高生がいて、遅刻が増えたと話題になった。
とはいえ、今野勉さんが「七人の刑事で」いわゆる“歌謡曲シリーズ”といわれる作品を作っていたのもこの頃だ。つまり、地方から東京へという人の流れによる変化(例えば、永山則夫)と、都会文化の「新・都会化」(例えば、フーテン)という二重の変化の中で、<戦後的>なるものと<戦後・後的>なるものが入れ替わろうとしていた。風俗としてみれば、そこに全共闘的や、団塊の世代的もひっくるめることもできるだろう。
個人的にいえば、TBS闘争(1968年)の翌年に田園都市線沿いの、いまや高級といわれるたまプラーザで宅地開発が始まったばかりの団地に引っ越した頃だ。団地のはずれに「狩猟シーズンは発砲に注意」という立て看板があった。ここまで来る電車は二両連結で、途中で四両編成に増結されるのだが、二子多摩川園からその頃の大井町線で自由ヶ丘に出て、それから東横線で渋谷、銀座線で赤坂見附という遠距離通勤だった。その団地住まいの我が家に、三億円事件の捜査をしていた刑事が訪ねてきたという。事件当時、調布のアパートに住んでいたのだが、「その時、毎日新聞を取っていたか」というのが捜査員の質問だったそうだ。

「悪魔のようなあいつ」について書いている志村さんポストに沿って言うならば、「なんというか、理想を追った1960年代から、理想との格差が広がった1970年代の現実が、可門良に投影されているのだろうか」ということなのだが、そうなのかもしれない。しかし、同時代感覚としてはそんなに明瞭な意識はもちろんなった。確かに、何かが変わろうとしている予感のようなものはあったかもしれない。だが、何を軸に自分は生きていくのかが見えずに混沌の中にいて、経済的にも安定とはまだ程遠いところだったし、思いがけなく「家庭」というもの直面することになり、どう関わったらいいのかということにも途惑う、そんな毎日だった、と思う。
そんな中で、僕にとって時代の終わりは1972年の「あさま山荘事件」とともにやって来た。あれは、間違いなく「時代」の終わりだった。若し、僕の“青春”を短い単位で区切るなら、“あれ”(あの事件)で終わったと言えるだろう。もちろん、僕は当事者でも関係者でもない。ただ、テレビの生中継で、工事用の鉄球が別荘の建物を破壊し、2月の寒空の下で放水を浴びせられながら発砲して抵抗するという<攻防戦>の情景を見けながら、僕が60年安保で出会った「時代」というものの終わりを、あるいは「戦後的」なるものの終わりを、「こんな風に終わってしまうのか」と、自分の中で確かめていたように思う。東大安田講堂に機動隊が入った時の中継からはどこか高揚したものが伝わって来たが、「あさま山荘」の時はただ冷え冷えとしたものしか感じられなかった。それ以後、時代への共感を封じたまま、仕事と日常に追われるという屈折がしばらく続く。「悪魔のようなあいつ」はその頃のことだった。その頃は、「まわって来た仕事は、全て引き受ける」というスタンスだった。他に選択はなかった。
僕がテレビとの関わりを<+価値>として考えるようになるには、さらに12年が必要だった。そのことは、既に少し書いた。TBSメディア総合研究所HP「メディアノート Maekaw Memo」No91,92,93.(追悼・村木良彦さん 2008.2.1.から3回連載)

http://www.tbs.co.jp/mri/media/media_list2008.html

志村さんはこうも書く。「1975年は戦争終結から30年経っている。そして、また『えっ』と思った。1975年はこの原稿を書いている現在から35年前。僕が1975年を地続きに感じるのと同じように、『悪魔のようなあいつ』も戦後と繋がっているのか。現在と戦争の中間にこの作品が位置している、そう思うと戦争が急に身近に思えた」と。
志村さんの時代感覚に触れるのは多分初めてだろう。結構いい線いってると思う。志村さんが書いた「当時の記憶」の一節(掘立小屋に住む友人や、サリドマイド児のこと、イナゴ山やカマキリ山のこと、など)は、とても伝わってくるものがある。そうなのだ、過去は思いのほか近くにあることがあるのだ。あるいは、思いのほか「今」と深い関係にある、といっても良い。余談だか、「情報の歴史」(監修・松村正剛 構成・編集工学研究所)を繙いたときに感じる面白さは、歴史的事象の意外な近さだったり関係だったりを発見することだ。
志村さんのこの時代感覚の根っこにある感性が、「明日のメディア」的世界に見られると良いのに、というのは僕の勝手な感想か。
志村さんに触発されてここまで書いてきたが、それにしても、こんなことを書こうとは思わなかった。「青春探し」というなら、ここから僕の「心のひび」について書くのが順序なのだが、今はまだその時期ではない。だから、志村さんポストについては、ここまでだ。
年の瀬というのは、人をメランコリーにするものなのかもしれない。それとも歳のせいか。あるいは、たまに聴いてしまった「音」のせいだろうか。

河尻さんポストにも感じることが沢山あった。が、今回はもう目いっぱいだろう。次回にしよう。
唯一つメモしておくとすれば、「世界史において初めて、機械的な複製は芸術作品を儀式への寄生的な依存から解き放った」というベンヤミンの一節が引用されているが、そのさき出てくる「芸術は儀式に基づくかわりに、必然的にある別の実践、すなわち政治に基づくことになる」をどう読むべきか。これは、20世紀から21世紀に向けられた問いではあるまいか。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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