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201110/3

「異質であることの大切さ」 -日韓中テレビ制作者フォーラムの面白さと重たさ-(2) 前川英樹

(3)「人はそれでも生きていかなければならない」・・・日本のテレビの”志”や”精神”は地方局が支えている。
「志」とか「精神」という言葉は些か大時代的かもしれないが、いまテレビが失いつつあるのは、そうとしか言えないように思う。
日本からの参加作品は、ドキュメンタリー2本、ドラマ2本で、このうち「フリーター、家を買う」(共同テレビジョン)以外は地方制作である。

「嵐の気仙沼~宮城・港町の特別な一日~」(NHK仙台)は、往年の賑わいが失われた気仙沼港が、台風襲来のときだけ避難する漁船で活気がよみがえる様をスケッチした佳作。しかし、それよりも、そこに登場した人々が3.11以後どうなったかをフォローした取材映像に衝かれるものがあった。
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窶ィ「命の値段 がん患者、戦いの家計簿」(札幌テレビ)は、がん治療の経済的負担の構造と政策支援を求めるがん患者金子さんと、その家族の行動に密着したドキュメンタリー。切々とした思いが迫ってくる。ローカルニュース取材とドキュメンタリー制作を組み合わせたローカルの知恵が感じられた。
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ドラマ「ミエルヒ」(北海道テレビ)は、片目の視力を失った戦場カメラマンが、ヤツメウナギ漁を細々と続けている父のいる故郷に戻ってくるところから始まる。何をしようか悶々としつつ、気がつけば、見える方の目でファインダーを覗いている自分がいる。父は「何でお前写真撮ってるんだ」と問い、息子は「他にすることがねぇだろうが、こんなとこに帰ってきて」と答える。
「お前分かってるんじゃねぇか」「えっ?」「おれたちがなんで漁をやめねえか、戦争してる町の人間が、何でそこに住み続けてるか、お前分かってんじゃねぇか」…長い間の後に、息子は歩き出す。
モノローグ「そうか、そうなんだ。みんな、ただ他にすることがないんだ。他にすることないし、何処にも行くあてのない人たちなんだ。俺がここに帰ってきて、おれがここにしか帰って来られなかったように、他に行くあてがないから、みんなただ生きてるんだ。みんな夫々の場所でただ生きて行くしかないんだ」
少し生硬ではあるが、気持ちが良いドラマだ。オールロケが<空気>を伝えてくる。

三作品とも、「人はそれでも生きていかなければならない」ということを語っている。がん患者の金子さんは亡くなったというが、それでも人は、例えば彼女の家族は生きていかなければならない。

そういう語りかけを、特にローカル民放の作品は、予算も機材も、そして制作機会も限られ状況で、細々と、それこそヤツメウナギ漁のように、愚直に作り続けられている。
lq88Z8kakz.jpgそれは、キー局が、もうずっと以前に捨ててしまったものだ。日本に何故民放が存在するのか、NHKではない放送局が何故必要なのか、民放がローカル免許である理由は何か、かつて<東京局>もそのような「志」を持っていたはずだ。
全国ネットが不要というのではない。より多くの視聴者に見られる番組制作がダメだというのでもない。かつて、制作局長が局内の廊下で報道局長とすれ違った。「おい、俺たち稼ぐから、おまえら真面目にやれよな」「分かってるよ」というような会話が、何故だかそこで飛び交ったのを知っている。それがなんだ、ということもできるし、また「志」や「精神」の問題として、それで良いのかということもできる。だが、そのくらいの会話が局長間で飛び交った方が良い。理念で経営が出来るかと言われれば、理念不在の経営とは何かと問い返すべきである。ある時期、経営の一員になった時、そう言い切ることへ躊躇いを覚えたことを、いま自分のなかで反芻している。

(4)結構重たい課題が残った
この数年、放送法改正に関係する議論の中で、「市場は最適解を出すように機能するのだから、制度的規制は最小化されるべきだ」という考えが語られたことがある。制度規制の最小化に異論はないが、それは市場が最適解を出すからであろうか。
何よりも、番組を作ること、というよりも、なんであれ表現することは魅力的だ。今その「場」としてテレビメディアが優先的だか、それは絶対的なものではなくなりつつある。だが、表現の場がなんであれ、表現という行為は私たちを魅了する。そこに、制作するものと見る者とが交錯する関係が成立する。制作という労働やその結果としての番組は市場の力学から逃れられないが、< 表現>そのものは市場の外にある。その内と外とを行き来するのが制作者なのだ。
放送とは、放送に携わるとは、そして番組を制作することとは、何であろう。ローカル局に継承されているその問いを、あらためて問い直すために、今回のフォーラムは意義深いものがあったと思っている。残された問題は、結構重たいのだけれど。
放送の世界に関わってきて、いま私たち=<放送人>にできることは、原点の大事さを言い続けることだろう。それが、ネット時代の放送の、それこそ存在理由ではあるまいか。
津波や原発や、あるいは突然だが、フェイスブックが来ようと(前回の山脇「あやブロ」のように)、先ずは「己が何者か」を知ることから始めよう。かつて、その問いに対して「お前はただの現在に過ぎない」と切り返した経験を持っているのだ、私たちは。

(5)フォーラム会場が北大で良かった
それにしても、今回のフォーラムが北海道大学で開催されて良かった。大学側がどれほどの協力体制を敷いたのか、具体的なことは知らない。しかし、かなりの人数の留学生を含むボランティアの学生たちの協力や、最適な環境の小ホールの使用にも助けられただろうが、北大という場そのものが何よりも素晴らしかった。

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始めて訪れたキャンパスは圧倒されるほど美しかった。秋が深まれば一層魅力的になるだろう。「都ぞ弥生の」とは北大寮歌だが、その何番目かに「~羊群聲なく 牧舎に帰り・・・」という一節があったはずだ。そのフレーズが好きだった。
ホテルから3分ということもあり、朝6時半頃から1時間ほどキャンパスを散歩した。クラーク博士の胸像やポプラ並木などの観光要素や歴史的建築もあり、退屈しない。早朝からジョギングやウォーキングの人々が散見された。門は解放されている。

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北大という会場はフォーラムにとって最高の条件であったが、大会の成功のためには主催者・関係者の苦労がないわけがない。
本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。

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“せんぱい”前川英樹

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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