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20113/25

「災害をみるメディアの<眼線>」 ― 前川英樹

■安政江戸地震
「巨大災害がいつ起こるかは決定的に重要である。この『いつ』は暦表の上で何年に当たるかではない。一政治権力の生態史サイクル上のいかなる時期に当たるかである。一七〇三年の元禄地震では幕府はびくともしなかったが、一八五五年の安政地震ではがたがたになった。・・・巨大災害は、一国の政治経済、社会活動、世相風俗に潜在していた諸内因を急激に外化し、顕在させ、加速熟成する。・・・巨大地震の破壊力は、地殻基盤と社会基盤とか単なる類比でなく同一モードで共振する事象をまざまざと示している」

IjH6QeiHXH.jpgこれは、「安政江戸地震-災害と政治権力」(野口武彦・ちくま新書・1997年)の冒頭近くに出てくる文章だ。著者は1995年の阪神淡路大震災の体験の中から、自然災害の政治性・社会性というテーマに思い至ったという。安政江戸地震は、安政2年(1855年)10月2日に江戸で起こったM6.9の 直下型地震で、控えめに見て7000人を上回る死者を出したとされている。

野口武彦氏の著作はどれも面白く読んできた。この本も手元にあるのは一刷だから、発刊後直ぐに買ったのではないかと思う。今回の東日本大災害を知った時、その凄まじさの最初の衝撃とともに頭に浮かんだのは、小松左京の「日本沈没」、堀田善衛の「方丈記私記」と、この「安政江戸地震」の三冊の本のことだった。で、まずはこの本を再読した。

■江戸の緊急災害システム-優れたものとそうでない者

一 炊き出し。握り飯の配布。
二 宿なしになった者のためにお救い小屋を建てること。
三 怪我人のすみやかな手当て。
四 諸問屋惣代を呼び出し、日用品ならびに必需品を買い集めること。
五 職人組合惣代を呼び出し、国々から諸職人を呼び集めること。
六 売り惜しみ、買い占めの奸商を警戒。
七 物価手間賃引き上げの取締り。
八 与力・同心が町中を廻って救助そのほかの取締り。
九 町名主に掛りを申しつけること(非常掛名主臨時設置)

この指示は、地震の翌朝には、町奉行所から町方に伝えられていたという。また「千坪(約0.33ヘクタール)ぐらいの仮小屋は半日に出来てしまう仕組みが常に用意してあった」「社会には災害時の必需物資のノウハウが既にあった」ともある。江戸の緊急災害システムはちゃんと機能していたのだ。
今の日本のシステムの原形はここにあるように思える。いささかガラパゴス的かもしれないが、例えばヨーロッパでは教会が請け負ったであろうことが、江戸=当時の日本では町人の仕組みとして成立していたようだ。
だが、その少し後に「災害時には、当事者のうちもっとも優秀な部分が能力を発揮する。だが同時に、もっとも劣った連中も目だってくる。どちらの側にイニシアチブを取る大渦が現れてくるかが国家行政を左右する」とある。ここには自然災害を歴史的且つ政治的事象として視る眼がある。
その「もっとも劣った連中」を意味するかどうかはともかく、その時政権中枢は動揺していた。例えば、幕府は被害を受けた大名たちの藩領への帰郷を一度は認めるのだが、これでは黒船来航以後の「海岸防備」工事が放棄されてしまう。それに気づいて幕閣は帰郷容認を慌てて取り消す。また、民間への救済資金は町方が賄うシステムとはいえ、大名への災害融資や旗本救済のための拝借金など、武士たちだけが公金による支援の対象となっているのでは、「公権力の『公』性が大きく揺らいだ」と指摘されている。ついでにいえば、町人の被害は公的報告として把握されているが、武家のそれは記録として残されているケースは少ない。そこには、政治的思惑が働いているとしか思えない。
「最も優秀な部分」は、常に現場ないしは現場近くにいて能力を最大限発揮することを求められる。政権中枢は大概“そうでない”場合が多い。もちろん、乱世やあるいは修羅場に強いトップリーダーがいないわけではない。しかし、安定平静の時代が長く続けば、そうした能力あるいは感覚というものが養われ蓄積される機会は失われて、危機や非常時への対応能力は衰退する。 
幸か不幸か、政権交代を選択してしまった日本が、決定的な災害に直面したのだから、右往左往は仕方があるまい。いまは、ひたすら現場の優れた能力と緊急災害システムへの“江戸的”庶民感覚が支えるしかない時期だろう。阪神淡路大震災と同様に東日本大震災は首都を直撃しなかった。だが、中央と地方の関係が江戸時代よりはるかに密接になっているだけ、起こった事象から政治を読み解くことは可能ではないか。だから、メディアに必要なのは、「いま現場で人はどう生きていこうとしているか」を切りとり、そしてそこから「政治とは何か」を問い返すことなのだ。

■ポスト大災害-不安要素の躁的、あるいは身体的表現
さて、歴史的大災害の後に何が来るか。
安政江戸地震の年、米事情が良好で米価は安定していたことで、幸いにも混乱は抑えられたというが、それから以後、江戸は台風 インフルエンザ コレラと「災害集中の法則」の見本のような状況にはいる。そして、復旧のために江戸に集まった労働力はそのまま貧困層として滞留し、そこに飢饉による難民が流入する。災害や疫病のための救済コストは増えるが、彼らが財源としての「町会所積立金」を負担することはあり得ない。物価の上昇傾向は長州戦争によってさらに激しくなり、幕府の財政は逼迫する。洋式兵制導入によって集められた兵士のルンペンプロレタリアート化も社会不安要因になる。こうして「今の安定要因が次の不安定要因を蓄積するという『都市』問題の弁証法」が加速する。因みに、野口氏は世相文化についても興味深く観察し分析をしているが、一言でいえば「一文化共同体の感受性が変わった」と括っている。
ここまでくれば、一方では「打ち壊し」、そしてもう一方では「ええじゃないか」という幕末的現象が席巻するのは不思議ではないだろう。「打ち壊しは『政治的』であり、『ええじゃないか』は『宗教的』だという二分法は、現実の豊富な多様性の前には何の役にも立たない」のである。どちらも、不安要素の躁的、あるいは身体的表現というべきか。
人々を街頭に駆り立てるのは「空腹」と「空虚」だけではないようだ。

「生活不安をたちまち既成事実として取り込み、社会が上下もろともに『その日暮し』を送る幕末最後のサイクルの日常性が流れ始める。江戸の町には悲しみや怒り、笑いと無気力、活気と虚脱が入り乱れて渦巻いていた」
当然のことながら、著者には20世紀末の日本が見えている。そして、その延長に<今>があり、東日本大震災に直面しているわれわれがいる。
そして、こう続く。
「このアナストロフ(騒擾的破滅)の地平には、幕府が地震後十二年にわたって百三十万人口のうちに培養したラディカルな能天気、支配層への期待感ゼロ状態、とことん徹底的な政治的無関心が広がっていた。幕府は自分で、いかなる政治勢力にもまるで役に立たない厖大な人口集団を作り出していた。それが幕末『都市』問題のハイライトであった。そして間違いなくここには、液状化した地盤の奈落に国家権力が自重で沈降していく日本の政治の原光景がある」

■「時代を最低の鞍部で越えるな」
安政から慶応に至る幕末と現代が同じだとは、もちろん思わない。また、安政江戸地震と東日本大震災が同じ厄災をもたらしているということではない。原発事故の事例を見るだけで、それは明らかだ。だが、この「未曾有の大災害」(野口氏は未曾有は繰り返される、ともいう)をメディアがどう伝えるかという時、「未曾有だ、空前だ、大変だ」というだけではなく、その視線をどこまで届かせるか、それが問われる状況に入りつつある。これは、マスであろうがソーシャルであろうが変わらない。
前回、ダメな指導者の下でも人は生きていかなければならず、それが権力批判の基盤だと書いたが、<生活>への依拠だけでは時代が意味するものは見えてこないだろう。そこに、メディアの<知>、状況に身を置きつつ状況を超えようとする目線が必要なのだ。
とはいえ、「液状化した地盤の奈落に国家権力が自重で沈降していく日本の政治の原光景がある」という一行を読んで、「菅政権は終わりだ」と言えということでは、もちろんない。言ったって良いけど・・・。

若き日の吉本隆明の言葉に「時代を最低の鞍部で越えるな」という一言がある(と記憶する)。今=自分の時代を、楽をして通り過ごそうと思うな、最も困難な道を選ぶことで何かが見えてくる、ということだろう。メディアは、特にマスメディアは最低の鞍部で時代を越えようとしていないか。そうであれば、優れた生活者たちは権力だけでなく、メディアをも棄てて生きて行くであろう。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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