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20139/9

How とWhat、脱と続(志村一隆)

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「脱」と「続」

 

この「HOW」と「WHAT」、氏家論文に当てはめると、日本のテレビ局は、いま「HOW」段階にいるんだろう。
アメリカでは「HOW」は、既存プレイヤーではなく、市場の外側から起きた。それは、つまり企業側が想定する「市場」の外側に消費者ニーズが広がっていたことを意味する。
脱・テレビ」なサービスでないと、消費者ニーズを汲取れなかったのである。
その間、既存プレイヤー側のケーブルテレビは、テレビスクリーンに中に留まっていた。あるいは、地上波テレビ局は、インターネットを視聴率アップに利用する「テレビの拡張」戦略を取っていた。
こうした動きは、既存のテレビにインターネットを接ぎ木した「続・テレビ」な動きである。
アメリカでは、結局「脱・テレビ」プレイヤーが成長した。
機器レイヤーも同じである。「スマートテレビ」は「脱・テレビ」である。パソコンで出来ることをテレビ受像機に持ち込んだのだ。消費者ニーズを「脱・テレビ」プレイヤーが、ビジネスチャンスとして汲取ったのである。
しかし、日本の「スマートテレビ」は、「放送の拡張」と曲解されソーシャルテレビとなり、結局「続・テレビ」になってしまった。

規制で寡占市場を作り、テレビ局に余剰利益を集約、それをコンテンツ制作に廻し、いいコンテンツを作ってもらって、社会に役立てるってのが、日本のメディア・コンテンツ政策である。
こうした規制が機能する前提は、①規制側が想定する「市場」と消費者の行動範囲が一致している、②「いい」コンテンツの定義が、テレビ局と消費者の間で一致している、の2点である。
しかし現状は、①「市場」の外側にアナザー・ワールドが拡がってる、②多様化する消費者の嗜好に比べ、制作者数が足りない。
つまり、国の規制と現実が合わなくなりつつある。
そのなかで、氏家論文は「続・プレイヤー」的なポジションからの提言である。応援したい。
ただ、イノベーティブな動きは、なかなか既存組織から生み出せない。社内ベンチャーを作った自分の経験から言ってもそうだ。
規制で集約したお金でコンテンツを作る。この考えは、本来リスキーなコンテンツ・ビジネスの戦後復興には、フィットしたのだろう。
しかし、いつまでもその状態が続いているおかげで、コンテンツ制作部門が自立していない。つまり、リスクを負えない=リターンも得られない。アメリカで起きたネットフリックスなどサード・パーティーのダイナミズムが起きないように内包されている。
安定の代わりに得た代償が、日本に「脱・テレビ」が、育たない本質的な原因であろう。

 

 

 

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