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201210/31

10・31【釜山と東京で考えた-「日韓中テレビ制作者フォーラム」補遺】前川 英樹

 

{日韓中テレビ制作者フォーラム}についてのレポートは、「放送人の会」のホームページに掲載した。
是非ご一読いただきたい。

そのうえで、レポートに書かなかった二三のことを書き残しておきたい。時代がそれを求めているように思えるからだ。

 

<Ⅰ>

今回のフォーラムのテーマは、「歴史と人間・歴史と想像力」だった。
日本からテーマ作品として参加した「日本人は何を考えてきたのか-森と水に生きる」(NHK)は、東洋的自然思想をテーマにして、田中正造と南方熊楠の足跡を通して3.11以後の日本人の生き方を問いかける企画だった。番組では、足尾鉱毒事件で被害を受けた村を救おうと戦う田中正造が、帝国議会での追及質問を無視されたため、議員を辞職して天皇へ直訴するという話が出てくる。その直訴文を書いたのは幸徳秋水である。では、天皇と自分たちが明治という時代を作ってきたと深く思い入れている田中正造が、何故社会主義者幸徳秋水に直訴状の執筆を頼んだのか。それは番組では語られていない。

上映された番組を見ながら一つの演劇を思い出した。
「明治の棺」という芝居(作:宮本研、演出:竹内敏晴、上演:ぶどうの会 1962~3年)で、足尾銅山鉱毒事件を背景に田中正造とその時代を描いた作品だ。強い印象を受けたことを覚えている。

(以下、旗中は田中正造、豪徳は幸徳秋水 時は明治34年)
豪徳: としたら、銅山党や政府や議会に対してたたかいを挑むのではなく、なぜ、たった一人で天皇に直訴なさろうとするのか。・・・・・これ は最初の質問です。

旗中: 日本は、天皇と人民のとからなりたっとる国でがす。この二つが結び付いてこそ正しい政治でがす。それを妨げようとするのが銅山党 と藩閥、官僚の政府。天皇はそれをごぞんじないのでがすよ。

豪徳: 旗中さん。どうだっていいじゃありませんか、天皇は。

旗中: どうでもいいはずねえでがす。そうじゃないですか、豪徳さん。明治のご政体は天皇とわしらでつくったもんでがす。ご一新は、天皇とわしらの手で切りひらいてつくり上げたもんでがすぞ。

豪徳: 民をもって貴しとなす。社稷これに次ぎ、きみをもってもっとも軽しとす。

旗中: 老子でがす。

豪徳: (略)・・・一夫の肘を誅するもまた義なり

旗中: だから、倒したんです、幕府を

(略)

豪徳: かりにも豪徳は社会主義者です。しかも、天皇の存在を否定しよう、いや、社会主義のためには否定しなければならないと考えはじめている男ですよ。その男が天皇に嘆願する文章を果たして書くか書かないか。・・・・・旗中さん。はっきり言ってしまえば、豪徳は直訴状を書いてはいけないんですよ。(略)

豪徳: ・・・・・(略)旗中さん。あなたはなぜわたしのところへ。・・・・・豪徳は札付きの社会主義者です。先月からはどこへ行くにもお供がつきます。そんな男のところへ、何故こんな頼みを。・・・・・これが二つ目の質問です。

旗中: それなんでがす。なぜあなたのところへやって来たのか、実はさつきからわしも。

この後に、豪徳はキリスト教に傾きつつある旗中に、「キリスト教は天皇を認めませんよ」と問い、旗中は「・・・・・耶蘇が明治のご政体と衝突するようなことがあっても」「あったとしても・・・・・それはそれで仕儀のねえことだとわしは思っとります。」と応ずる会話が、そして議会と人民の行動についての会話が交わされる。

旗中: 政治の場所は議会じゃねえでがす。旗中は、二十年かかってそれを確かめたんでがす。
(それから10年、幸徳秋水はそれを別の形で表現しようとし、大逆事件という冤罪事件で獄死)

こうした会話の積み重ねの果てに、豪徳は直訴状について「・・・・・旗中さん。・・・・・書きましょう。いや、書かせて頂きましょう。」という。

そして、この場の最後。
豪徳: (ハッとした表情で)旗中さん。あなた、なぜ豪徳のところに来たのか自分でもわからないとおっしゃいましたね。・・・・・旗中さん。わたし、ふいと気がついたのですが、ひょっとすると、あなたご自分ではお気づきにならないまま、社会主義に傾いておいでなんじゃないですか。ご自分じゃ気がつかないまま、あなたの一番おきらいな社会主義に近づいていらっしゃるんじゃ・・・・・。

これは劇の上での会話である(「明治の棺 序曲と終曲をもつ二幕」未来社刊より)。
しかし、思想というものが演劇のことばとして見事に語られた場面の一つだと思う。もちろん、ここには1960年代という次代が色濃く反映されている、としてもだ。そしてまた、いま私たちは社会主義の一つの終焉を知っている、としてもだ。
明治という時代が、孔孟の教育、キリスト教や社会主義なとの新思想の流入と反発、天皇と人民の関係、明治憲法と帝国議会、など、混沌としてエネルギッシュな時代を反映した思想状況を切り取った芝居だった。芝居は、明治天皇崩御、旗中の死、で幕を閉じる。
劇中の旗中の最後の台詞。
廃村になる旗中村に残った人々を、<憲法>に基づく法により退去させようとする執行吏に対して、「何をいう。日本の憲法はわしらが・・・・・帝国憲法はこのわしらの手で・・・・・(略)」
そこに豪徳の伝言。
「ぼくが議会主義をすてて(略)人民大衆の直接行動論に移ったのは、旗中正造の考え方、やり方に影響されて・・・・・・それが直接の動機だって伝えてくれないか。(略)」

「日本人は何を考えてきたのか-森と水に生きる」は、自然思想と近代科学・産業の関係を問うたものだが、その時同時進行していたのはこうした思想状況の屈折だった。
日本の<今>を考えるもう一つの切り口を、私たちは考えなおす時代にいるのだと思った。

<Ⅱ>

この「明治の棺」を思い出している間に、もう一つの文章に思い至った。

「・・・竜馬の土佐の後輩で、少年の日に長崎で竜馬に『中江の兄さん、これで煙草を買ふてきてヲーセ』と言われたことを生涯の思い出にしていたのが、中江兆民。その伝記『兆民先生・兆民先生行状記』(岩波文庫)の編著者幸徳秋水は少年期に兆民の学僕として、その薫陶を受けた人である。
ということは、海舟、竜馬、兆民、秋水、と続く幕末から明治末年までの四世代は『魂の師弟関係』で結ばれていたということである。この荒々しく感情豊かな反骨の系譜はその後田中正造、堺利彦、荒畑寒村らを経由して日本の左翼思想の『王道』となるはずだった。(そうならなかったところに日本の左翼思想の不幸がある)。」

これは、内田樹の「日本の社会と心理を知るための古典二〇冊」(初出「中央公論」2007.4. 「昭和のエートス」バジリコ(株)2008 所収)の一節。「兆民先生・兆民先生行状記」の前に、勝海舟の「氷川清話」が取り上げられていて、そこで海舟による竜馬評が紹介されている。
数ある内田本と言われる本の中で、「昭和のエートス」は共感できる文章が多い。この一節もそうだ。近代と土着の思想的関係は、今でも私たちにとって避けては通れない問題だ。それが、左翼思想に限らず日本の近代の躓きの石なのである。ガラパゴスと言われる諸現象も、実はそうなのだ。

「日本人は何を考えてきたのか」が優れた企画であればこそ、そこから何を引き出すかは、見る側の問題として大事である。それは、今回の「日韓中テレビ制作者フォーラム」のディスカッションで、過剰ではないが鋭く触れられていた歴史認識と言われる問題に深く関わっている。
そして、その問いに答えるのは私たちでしかないのである。

釜山の夕景

<Ⅲ>

秋の園遊会にご招待頂いた。このことは、「せんぱい日記」に書く。
その余韻の中で、釜山で思ったことをもう少し考えつづけた。
<3.11>以後の時代を、あるいは混沌不安定なこの状況を思うにつけ、あの田中正造があの時向き合った問題を、いまの私たちはどう考えれば良いのだろうかということだった。思想というものが、結局のところどのようにして人を動かすのか、その理由は何か、そしてそれはどこまで深く私たちに突き刺さっているのか。
情緒的にあるいは劇場型としてではなく、しかし感性とは無縁のはずもなく、一神教の論理からは遠く、自然との共生を確かめ、アジアにおける立ち位置を曖昧にすることは許されず、そして人々が心穏やかに過ごすことが出来るために、どのような思考がありうるのだろうか。思いは連続的・連鎖的に繋がるので未整理混沌としたままであった。
唐突に思われるかもしれないが、結局のところアメリカをどう対象化するかというテーマが、近現代の日本の思想課題として残るのだろう、そう思った。昭和20年の“負け方”の問題も含めて、だ。

赤坂御苑の夕景

<Ⅳ>

最後に、レポートの最後の部分を再掲しておく。その理由は、ここまで書いてきたことからお分かり頂けるだろう。

「文化を政治の風下に立たせてはならない」という認識は、日本の戦後の一つの成果である。60年代の思想的テーマはそれだった。文化の自立は人間の自由に通じる。それは、「放送は文化だ」ということで放送を他の情報通信と差別化し、放送の特殊性論によって規制を肯定する立場と対極の論理である。
日韓中の放送フォーラムを継続することで、<政治を対象化する>ことも文化の一つであることを私たちは<行為としての文化>として示すべきだろう。それが政治と無縁ではありえないとしても、である。そうした行為は、どの国であれ、ある歴史的状況においてはとても困難な課題であろうが、しかしやはり「放送人」である私たちが選択すべき、且つ選択可能な方法なのである。何故ならば、政治より文化の方が人間にとって深い意味を持つからだ、私はそう思う。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964 年TBS入社 。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳の ある日突然メ ディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジとい うポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010 年6月”仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にして いる。「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸 隠。

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