5・18【ホノルル発、浮世絵コレクションは語る】稲井英一郎
今年の連休もハワイのホノルルは日本人観光客で賑わったに違いありません。ワイキキに立ち並ぶ多くの一流ホテルでは日本から訪れた観光客が行きかい、ブランドショップやアラモアナ・センターでも買い物を楽しんだことでしょうか。
しかし、ワイキキから路線バスで20分ほどにあるホノルル美術館が浮世絵コレクションをはじめとする東洋やオセアニア美術の収蔵で世界的にも有名なことは、日本では案外知られてはいません。私も昔、美術館を訪れたことがあるのですが、下記写真の館内カフェはなかなか素晴らしいところです。
Honolulu Museum of Art(美術館ホームページより)
美術館が誇るコレクションのひとつに約1万点の浮世絵があります。もっとも収蔵数が多いのは歌川広重の作品3,118点ですが、葛飾北斎の453点も発色がすぐれた逸品が多く、まことに充実しています。(2003年時点)
北斎といえば、ふつうは浮世絵史上の代表作「富嶽三十六景」が頭に浮かびますが、生涯にわたって一か所に安住せず93回も居を転じ、絵師としての改号が30回以上におよんだ北斎は90歳まで生きた長命の人で、創作意欲は驚くほど多分野におよび、富嶽シリーズ以外にも多くの秀作を残しています。
北斎 最晩年の錦絵
ここに北斎が最晩年の89歳でつくった珍しい錦絵があります。東京日本橋の三井記念美術館ではホノルル美術館所蔵の「北斎展」がハワイ外で初めて開催されているのですが、展示された作品のひとつが嘉永元年の1848年に描かれた「地方測量之図」(じかたそくりょうのず)。浮世絵というよりは記録写真に近いと
いえばよいのでしょうか、幕末の測量検地の様子を描いている浮世絵です。
ホノルル美術館蔵・葛飾北斎「地方測量之図」
(ホノルル美術館データベースより)
方位を測る「大方儀」や「小方儀」、目標柱となる「假標」(梵天ともいう目標)などを使って作業をしている様子は、江戸時代の測量の実態を正確に伝える貴重な史料であり、わが国で初めて実測により正確な日本地図を作製した、あの伊能忠敬(ただたか)の測量の様子も、この浮世絵によってしのぶことができるといわれるほどです。
しかし、この実物をみて驚いたのが、中段左端にいる人物が測量に使う「大方儀」から測量対象の棒に向かって伸びる「視準線」が一本のレーザービームのように薄く描かれているところ。
雲母をつかったキラ摺りの手法で、光跡がまだ肉眼で確認できる発色を保っている保存の良さにちょっと舌をまきますが、北斎の精密なスケッチぶりにも目をみはります。
太平洋戦争と浮世絵
ところで織物や装飾芸術を中心にスタートしたホノルル美術館に、なぜ見事な浮世絵コレクションをはじめ環太平洋辺境諸国も含めた重層的な美術コレクションがあるのでしょうか?
浮世絵コレクションの中核をなすのは、日本でも名高いミュージカル「南太平洋」の原作者、ジェームス・A・ミッチナーが寄贈した5,400点の浮世絵です。この篤心の小説家を通じて「南太平洋」を生み出し、保存状態のよい貴重な浮世絵を今日まで残す機会を与えたのは皮肉にも戦争でした。
James A. Michener(Wikipediaより)
合衆国憲法誕生の地である米国東部のペンシルバニア州で育ったミッチナーは、英語の教師などを経験したのち、太平洋戦争では海軍のヒストリアン(歴史研究家)として環太平洋の諸国をめぐり記録する軍務に従事しました。軍お抱えの歴史専門家と聞くと、いまひとつぴんと来ませんが、敵国の歴史や社会体制などを徹底的に研究するのが仕事だったのでしょう。
その従軍中に研究した成果は、終戦直後の1947年に「南太平洋物語」という小説に結実しました。ミュージカル「南太平洋」の原作になった作品であり、これを皮切りに40作以上の作品を著すことになります。
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ホノルル美術館の浮世絵解説書を出版している国際アートの樋口氏が寄せた文章によると、ミッチナーは戦後の混乱期に米国の通信社特派員として東京に在住したこともあり、このとき既に浮世絵などに関心があったようで、下町の絵草子屋をまわっては「何か面白いものはありますか?」と尋ねて回っていたそうです。
ミッチナーと辺境芸術
やがてミッチナーは、広重が描いた上方名所絵シリーズのひとつ、「近江八景之内 三井晩鐘」に出会ってから本格的に浮世絵の素晴らしさに魅せられ、歌川広重や葛飾北斎の風景画を中心にコレクションを充実させていきました。
そしてチャンドラーという実業家から、まとまった数の浮世絵を譲り受けたミッチナーは、「ミッチナー浮世絵コレクション」を完成させ、やがて、ホノルル美術館にすべてを寄贈します。
さて、敵国の文化ではあったけれど江戸大衆芸能の華、浮世絵を愛し、蒐集保存に精魂傾けたミッチナーの存在、そして彼のコレクションも含め85年間かけて、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオス、南北アメリカ、アフリカに至る多言語、多文化にわたる美術品を蒐集したホノルル美術館のありようを思い出して、少し考えさせられるところがありました。
世界にはホノルル以外にもさらに規模は巨大になりますが、パリにあるフランス国立ギメ東洋美術館や、イタリアのキオッソーネ東洋美術館、アメリカのボストン美術館とフリーア・ギャラリー、メトロポリタン美術館、英国の大英博物館ほかがあり、時間軸と空間軸の多層にわたって諸文明の美術コレクションを充実させています。
しかし日本では、西洋美術および中国朝鮮地域の仏教美術・陶磁器などの外国美術を充実させている優れた美術館は多数あっても、知られていない辺境諸文明にまであまねく光をあてようとする試みは盛んとはいいがたいのです。
この状況を理解するヒントとなる碩学の言葉が「文明の生態史観」(中公文庫)にありました。文化人類学者の梅棹忠夫氏が著したその本の「生態史観からみた日本」の章では次のようなくだりがあります。
ほんとうの文化はほかのところでつくられる
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「伝統的には、日本の知識人は、日本とヨーロッパとを比較しながらかんがえを展開してきたのであって、その視野のなかには、広大なアジアの諸地域がほとんどはいっていなかったのであります。」(文明の生態史観より)
さらに、「東と西のあいだ」という章では、文明に関する議論の焦点が日本では西洋との違いに集中している一方で、古代文明をうんだインドは自らの優位を信じて揺るがないとして、両者の差異をこう表現しています。
「日本人にも自尊心があるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうと思う。」
(同上)
二つの観察から導かれる日本人の民族的思考様式は、中華文明やローマ文明から派生した支配文明とつねに対比させることが基本形となり、その文脈のなかで自分の立ち位置を知ろうとするものです。美術の嗜好や価値判断でもこのDNAが影響しているとすれば、支配文明に属する美術品には憧憬と畏怖を抱き、それ以外の文明、インドや東南アジア諸国に属する美術品にはほとんど見向きもしないことになります。
世界でもっとも有名な波 と 白楽天図屏風
自国の文化に対しても、大衆の安価で風俗的娯楽作品だった浮世絵に対し、高い美意識をもつ芸術として初めて正当な評価をくだしたのは、残念ながらヨーロッパ印象派などの芸術家たちでした。
ゴッホは広重などの錦絵を模写し、ドビュッシーは北斎の「神奈川沖浪裏」に触発されて交響詩「海」を作曲して、この絵をスコアの表紙に使って「世界でもっとも有名な波(Great Wave)」にしました。
葛飾北斎「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」
(ホノルル美術館データベースより)
支配文明のかげを感じながら自国の価値をみいだすという特異な意識は、東京南青山の根津美術館が所蔵する「白楽天図屏風」などにはっきりと見てとれます。
謡曲「白楽天」を画題にしたこの絵は、唐の詩人である白楽天が日本にやってきて漁師と問答をしますが、漁師は実は和歌の神様である住吉明神の化身で、和歌の偉大さを思い知らされて白楽天が中国に追い返される場面を描いています。
これなどは中華文明圏に属することにつきまとう「かげ」を拭いさって、自国の優位性を示そうとする日本人の思考様式を暗喩しています。
白楽天図屏風(尾形光琳筆 根津美術館蔵)
2月のポストで書いた拙稿でも、内田樹氏の「日本辺境論」を引用して日本でのテレビ論のあり方に「一種の劣等感を抱く傾向がある」と書きましたが、「北斎展」のミッチナー・コレクションを眺めているうちに「日本人論」に考えが回帰していく自分もまた「日本人だな~」ということを知るのです。
次のポストでは、この日本的な民族的思考様式を、当今のメディア論、IT論にすりこんで展開してみたいと思います。
稲井英一郎(いない えいいちろう) プロフィール
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。
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