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20122/10

●石岡瑛子さんのこと―のこされた3つのマントラ ― 河尻亨一

石岡瑛子さんが亡くなった。

半年前の6月6日。僕はNYで石岡さんに4時間におよぶインタビューを行っている。そのときはお元気そうに見えた。いつものEikoさん節だった。だから突然の知らせに接したときは、とてもショックだった。それほどご体調がすぐれなかったことに気づけなかったことが悔やまれる。

1月27日の朝。訃報はTwitterで知った。発信元は「New York Times」だった。この報道は石岡さんの業績を適切な距離を置きながらも丁寧に紹介し、最近の動向にもふれ、故人へのリスペクトを感じさせる追悼記事だったと思う。

思えば、石岡さんに僕が初めてお目にかかったのは2008年夏。オリンピックを控えた北京。インタビューは5時間におよび、雑誌「広告批評」の特集「北京の石岡瑛子」として形になった。

30ページ近いインタビュー記事に加え、「すべてがコンピュータナイズされていく時代にクリエイターがいかに生きるべきか」にふれた石岡さんの直筆原稿(著書『私デザイン』の前書き部分)を観音として付けた。

その後、石岡さんが衣装を手がけるターセム・シンの映画「落下の王国(原題:The Fall)」の試写会でお目にかかったり、2009年の年明けには石岡さん主催の新年パーティにお招きくださったりと、若輩ジャーナリストとしては身に余る交流の機会をいただいた。

石岡さんに近しい方々が集うその新年パーティでは、彼女を囲んでみなさんでおしゃべりをするコーナーがあった。東京にいる時間が少ない石岡さんと旧知の方々が昔話に花を咲かせたり、近況報告をし合ったりの和やかで楽しい時間だったと記憶している。

そのとき石岡さんがふいに、「日本のあるテレビ局よりドキュメタリー番組への出演依頼が来ているのだけれど、この番組はどういったものとして受け入れられているの?」という趣旨のご質問をされた。

「あやとりブログ」の執筆者でもある前川英樹さんが若きディレクターだった頃(1960年代後半)、当時まだ東京で活動していた石岡さんの出演番組を担当されたそうだ。前川さんからいただいたメールによれば、そのとき「彼女は、テレビに出るのは好きそうじゃありませんでした」との印象を持たれたらしい。

テレビに限らずどんなメディアであっても、石岡さんは取材による拘束や露出にはあまり積極的でないスタンスだった。そんなことをしている時間があるのなら、少しでも「作る仕事」に専念したいとお考えのようでもあり、実際そのようにおっしゃってもいた。

このときも出演を検討中であったか、すでに承諾していたとしても「どんな切り取り方をされるのか? クリエイションに対する理解や取材対象者の仕事に対するリスペクト、毎回のテーマへの真摯なチャレンジ精神があるものなのか?」といったあたりを近い人たちの生声からリサーチしたく、そういったご質問をされたのだろう。

よく知られていることであるが、石岡さんは仕事に対して常に完璧主義と言えるまでの姿勢を貫き、進行中のプロジェクトに全身全霊をかけて取り組む方であるから、番組出演とはいえそれが世に出るものである以上、ご本人の意に添わぬ形で表現(報道)されることはありえない。だが、一度引き受けた場合には万全に準備しベストを尽くす。それが石岡瑛子さんの流儀というものである。

そのことは、それまでの長くはないおつきあいや石岡さんの著作などからも十分うかがいしれた。だが、このとき多少アルコールも入っていた僕は、ご質問に対し不躾かつ無責任にも、ご出演を強く希望する旨を伝える発言をしてしまったのである。

そんなうかつなコメントをしたのには理由がある。北京オリンピックのことが引っかかっていたのだ。あの歴史的ビッグプロジェクトの開会式を担当する世界の精鋭クリエイティブ・チームの1人に選ばれ、石岡さんは現地で猛烈に仕事をこなされていた。これはそうとうスゴいことだ。だが、いざオリンピックが始まっても、その事実は日本のメディアでそれほど報じられなかった。

あれだけ多種多様の情報を網羅している日本語版・wikipediaの「北京オリンピック」の項を見ても、その事実にはまったく触れられていないので、日頃そういう作業をしない僕が書き足したくらいだ(※英語版では言及されていた。現在は別項目の「北京オリンピック開会式」としてより詳細な編集・記述がなされている)。

だから、もう少し国内向けの“チャンネル”もあっていいのではないか? と正直感じていた。僕たちの世代(30代半ば)は、「Eiko Ishioka」が日本が誇れる偉大な表現者であることを多少は知っている。彼女がグラミー賞やアカデミー賞を受賞した際の大々的な報道に触れているし、さらに上の世代の方々はひと時代を築いた資生堂やパルコのキャンペーンにリアルタイムで接している。

だが、より下の世代は必ずしもそうではない。石岡さんが現役のクリエイターとして仕事を続け、世界が認める成果を出している以上、それがあまり報道されないのは残念というのが個人的な思いだった。そのドキュメンタリー番組のオンエアは、きっかけのひとつになると考えたのだ。

おのれに厳しいdisciplineを課していた石岡さんにしてみれば、日々は絶えまなき挑戦の連続であるから、そういったことは気に留めなかったかもしれない。僕の感想はあくまで外野のオピニオンである。

だが、彼女が遺した時を超えるクリエイションの数々や著作『私デザイン』には、混迷の時代をサバイブするためのヒントが詰まっていることも事実だ。外野にはそれをシェアする務めもある。それでこの場を借りてこの一文を書いている。

石岡さんは「Survive」が口癖だった。「Collabration」「Timeless」と同時にマントラのようにその言葉を唱えていた。それを成すためには自分を鍛え抜かなければならないともおっしゃっていた。そしていま、「生き残る」は時代のテーマになりつつある。

半年前に聞かせてくださったお話は、銀座グラフィックギャラリーの刊行物『Graphic Art & Design 10-11』に巻頭インタビューとして収められている(「グラフィックデザインはサバイブできるか?」)。しかし、それは4時間に及ぶトークから、石岡さんの近況とグラフィックデザインに関わる要素を抽出した一部分に過ぎない。

その日、ほかにもたくさんの言葉があった。いま考えると若い表現者たちへの遺言に近いものも含まれているようにも思い、僕はなんだかそれを託されたかのような責任さえ感じる。

生み出す作品群の圧倒的な美しさと力強さ、仕事へのこだわりぶりから、石岡さんは厳格な方という印象で語られることもある。事実そういう面もあるが、僕の知る限り、近しい方々や人生の道のりの中でたまたま邂逅することができた人たちにはまったくそうではなかった。

優しく、繊細で、気さく。お目にかかるたびに力をもらえる人物にはそう滅多にお目にかかれるものではない。私の取材経験では、70代以上のクリエイターの方になぜかそういった印象を与える方が多いのだが、全身で「人間」を表現しているとでも言ったらいいだろうか? だから短いおつきあいだったが、石岡さんは僕の心にも強烈な何かを残したのである。

実は件のパーティのとき、もうひとつ失言をした。「石岡さんはお母さんみたいですね」と言ってしまったのだ。

Eikoさんは笑っていた。

思い出すだに恥ずかしい。その前の北京取材のときもご本人を前に緊張して思わず「生けるレジェンドにお目にかかれて光栄です」と口走ってしまい、このときも大いに笑われた。何をか言わんやである。

しかし、僕らの世代の者にとってはやはり“表現の母”だったのだと思う。この母はおそらく「生み出し続ける」ことでメッセージを伝えようとしていた。それはコラボレーションの力でアート&コマースのマリッジを形にするためのヒントである。表現者が表現者として生き抜くための知恵と姿勢である。

石岡さんが衣装を手がけたブロードウェイのミュージカル「Spider-Man:Turn Off the Dark」の制作過程に主に密着したドキュメンタリー番組は、あのパーティから2年後の2011年春にオンエアされた。追悼番組として再放送もあったらしい。これは貴重な記録になったと思う。

僕が教えている東北芸術工科大学のクラスの中には、この番組で石岡さんの存在を知った学生もいるようだ。放送時にはTwitterでも話題になっていた(ご本人にもそのことはお伝えした)。

番組の冒頭いきなり「すごい日本人がいた」というテロップが出るちょっとすごい始まり方をするのだが、そうとしか書きようがなかったのだろう。初めてその名と姿に接した人たちは、おおむねそういった反応をしていたと思う。

メディアであれプラットフォームであれ、未知なるワンダーを伝えてくれる存在には価値がある。しかし、クリエイションを生み出すのは場や道具ではない。人だ。そして偉大なクリエイションは時間も空間も超えて輝き続ける。石岡さんは作品と生き様でそのことを教えてくれた。

少し時間がたったいまも、深い尊敬の念が胸の底からこみ上げてくる。

石岡瑛子さん、ありがとう。

※石岡瑛子さんと筆者(河尻)。2009年のNEW YEAR PARTYにて。

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