あやぶろ/OLD

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20112/11

「僕らはただの“なう”にすぎない?」(続き) ― 河尻亨一

“なう”なお前ら表へ出ろっ!

読者並びに“あやとらー”のみなさまはすでにお気づきかもしれない。ここまで僕は「現在」という言葉と「なう」という言葉をそれぞれ定義せず混在させている。実際には両者はビミョーに違う(何事も厳密に考えることがお好きな人々にとっては決定的に違う)。どちらかと言うと前者は「西洋社会の革命の成果として得られた“実存”の文脈に属するもの」であり、後者は「そことの断絶として立ち現れた“ポストモダン”な文脈に属する」ものであろう。40年前の彼らと僕たちはそこが決定的に違うようでもあり、前川センパイもおっしゃるように状況は何ひとつ変わっていないというふうにも思える(この風土において)。しかし、日本における「なう」は、現状オタクな文脈とリンクしやすく、ヤンキー思想家としての僕は立ち尽くすのみ、という現状もある。そこが須田和博氏との違いかも。そりゃあ議論がヒートして「表へ出ろっ!」みたいなことにはなかなかなりません。平和ですね。

それはそうと、テレビ的「現在」に対置される、Twitter的「なう」については、その意義を疑う声もあるだろう。しかし、ソーシャルネットワーキング空間に漂う無数のつぶやきの中には、1969年、一局をのぞいてどのテレビ局も報じなかった東大安田講堂の生々しい落書き(「自分の食器は自分で洗え」など。392ページ参照)のようなものが確かにある。あっち(落書き)は明らかに「なう」なんだ。そう捉えたとき、『テレビはただの現在にすぎない』が提示した視点は、いまなお僕らに刺さってくる。40年前といまが交差する。

では、2011年現在、テレビジョンに何ができるだろう? それは「なう」を極めることではないだろうか? 無数の声を集約し、それにアドリブで応えていく。40数年前は実験的構想にすぎなかったそんなアヴァンギャルドな試みも本当にできる時代になった(やろうと思えば)。つまり、原点に戻ることではないだろうか? そこに加え巨大組織であるテレビ自身が一プレイヤー(ユーザーと言い換えてもよい)となることが求められているのではないかと僕は思う(免許事業云々を考えずに言えば)。それくらいやらなければ、「お前はただの過去にすぎない」という事態さえ生じかねないのが“なう”というものである。まさに「Now’s the time(by チャーリー・パーカー)」だ。

話は変わる。前川センパイより、私が名乗っている「キュレーター」という不思議な労働形態に関して、「それはなんぞや?」の問いがあったので、お答えしておきたい。簡単に申し上げると、前記のような課題に対するソリューションへのひとつの道として、僕が考えている方法論(オススメ策)がキュレーションだ。それは、たんなるウェブ上の情報編集術、発信術ではなく、マスとインターネットをつなぐ包括的コミュニケーションメソッドである。

事例としては古くなるが、わかりやすいところで言うと、そのもっとも画期的な成功例がオバマの選挙戦だったと思っている。ソーシャルメディア活用の影に隠れてあまり注目されないが、オバマ陣営は実にたくみにテレビを使った。従来の政治家たちのそれとは異なる、革新的かつ地味なやり方で。その極みつきは、大統領選投票前日の特番だったと思う。その番組で彼の言葉が届くバックグラウンド(物語)は、インターネットが作り上げていた。オバマの“キャンペーン”には、クリエイターではなくキュレーターがいたのだというふうに僕は考えている。つまり、キュレーションとは、マス的メディア空間とソーシャルな言説空間を接続し、時間軸の中でコミュニケーションを設計すること。そしてそのことで、時代にグルーヴを起こすことである。ようはジャズだ。奏者たちが、ときに心地よくときに激しいスイングできるような環境をデザインすることと言い換えられるかもしれない。その機能は、メディアニュートラルな立ち位置からでなければ見えてこない。しかし、具体的には僕もチャレンジ中(with須田和博氏)、現在進行形のなうなのです。

Faceはアイコンではない

窶披€狽ニいうハードめな感じで、あやブロは書き進めていいのでしょうか? スリリングな“ジャムセッション”にしたいものです。そういえば、前川センパイが前回(2月5日のポスト)、ロラン・バルトのテクスト論について言及されてましたが、それで思い出したのは、バルトの『表徴の帝国』の有名なカバー写真。仏像の顔の裂け目からもうひとつの顔がのぞいてるあれです。

つまり、実体がどこにもない。これがガラパゴスとしての日本の“顔”のあり方だという気がします。つまりアイコン。フィギュアです。バルトはいち早く実現されてしまっていたポストモダンを“日本”に見いだしたのかもしれません。それは革命を経由せずして革命後にいたってしまった日本的パラドクスというもの。これは根の深い問題で、戦前にさかのぼれば「近代の超克」の形で現れるのかもしれませんが、ときにそれは権力以上に手強い相手なのでは? と僕は思っています。60年代のレボリューションも、権力というより、むしろそちらに屈したというか、張り子の虎と戦っていた部分もあるのではないでしょうか?(『ノルウェイの森』などを読んでもそう思う)。最終的に“それ”はサブカルに回収され消費されてしまう(イージーな形で内面化されてしまう)。問題はテレビだけのことではないのです。メディア環境全体を見渡した上でリ・デザインしないと(ビジネス的な観点も含めて最適な解を見いださないと)、風土改良にはいたらない気がします。僕がイメージしているのは、そういった意味でのエコシステムです。

いよいよFacebookブームが到来しつつあるようですが、日本においては、Faceがその本来の機能を果たさないのでは? ということですね。意外と流行るのだとすれば、面白いことになる気もします。そういった視点から、僕はソーシャルメディアに期待しています。というわけで、遅ればせながら「ソーシャルネットワーキング」でも観てくることにします。そういえば、昨年のカンヌ(広告祭のほう)でスピーチしたマーク・ザッカーバーグは異様に早口だった。もしかすると、それが時代のスピードなのでは? ジュリアン・アサンジは39歳で、なんであんなに老け顔なんでしょう? もはやすべてを知ってしまったのか? なんとなく気になります。もはや“現在”でさえなく、“なう”にすぎない僕たちは、骨太なロジックというよりも、そういうスタンスでアプローチしたほうがいいのかもしれませんね。安田講堂の落書きニストたちやそれをテレビで報道した記者、あるいは寺山修司のように。同世代のクリエイターは比較的そのことに気づいています。だから、人の“ふるまい”に着目したり、ユーティリティ(ズバリ「使ってもらえる広告」)を開発したりするわけです。テレビはある種ユニバーサルなその動きをピックアップできているでしょうか?

「神は細部に宿りたもう」。恩師、多田道太郎先生が口癖のようにおっしゃってました。執筆にあたっては、その精神も忘れないようにしたいと思います。氏家さんのおっしゃっている「実業方面の論考」もぜひチャレンジしてみたいと思います。

河尻亨一(かわじり・こういち)
編集者・キュレーター。1974年生まれ。元「広告批評」編集長。現在は様々な媒体での企画・執筆・編集に携わる一方で、小山薫堂氏が学長を務める「東京企画構想学舎」などの教育プロジェクト、コミュニケーションプロジェクトにも取り組む。2010年、エディターズブティック「銀河ライター(Ginga Lighter LLC)」を立ち上げた。東北芸工大客員教授。

※あと『お前はただの現在にすぎない』についてエラソーに色々言っているが、お前さんはいったい何をやってきたんだい? という疑問をお持ちの方は、 http://p.booklog.jp/book/18905 から入手できる私の超ロングインタビュー(計4万字/4回シリーズ)をお読みいただけると幸いです。いまのメディア業界をサバイブしている20代の若者向けではありますが、方法論についても色々語っています(特に3回め以降)。本当に必要な人にのみ届けたいので「1回 100円」のハードルを課しています。以上、宣伝でした。

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