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20111/17

「“勝者なき消耗戦”、NHK会長選任、右手にケータイ・左手に電子辞書、チュニジア政変」“せんぱい”日記⑧前川英樹

1/11(火)
今日から家の防水・塗装など外装工事。暫く落ち着かない。

1/12(水)
月に一度のマッサージ。体のメンテナンス。
途中の本屋で週刊「ダイヤモンド」購入。特集が「-新聞・テレビ 勝者なき消耗戦-」、<5年後に、民放2局が赤字に転落、新聞は10年で売上半減!? >などとあったので、つい手を出してしまった。この手の特集はもう10年以上前から色んな雑誌で組まれている。狼少年とも思わないし、的外れとも思わない。だか、テレビも新聞も苦戦しながらここまで来た。ドラスティックな変化はいつ起こるのか、あるいは変化が起こった時には誰も驚かないままに解体・崩壊が進むのか。

NHK会長選任大混乱。
NHK改革の過程で経営委員会の権限強化が図られたが、経営委員会の位置づけ仕組みについての基本的な認識が整理されないままここに至った、そのツケが回ったという印象。

風邪を引いたのだろうか、体調良くない。

1/13(木)
午前中、診療所で風邪薬をもらう。
通勤時の電車に乗ることが少なくなって、その分座席に座る機会が増えた。帰りに乗った小田急線で隣に若い女性が座った。最初に目線に入ったのは、ビンテージのデニムで、ほつれの隙間から剥き出しの膝が見える。この冬一番の冷え込みだと言うのに寒くないのだろうかと思ったが、それこそ余計なお世話というものだろう。上は太編みの厚手のニットでちょっとオシャレな感じだ。こんな時間に電車に乗ってといるのだし、ファッションから見てもOLではないだろうし、主婦には見えない…外見で判断してはいけないか。
暫くして気がつくと、彼女の膝の上に資料らしきものが開いていて、1枚はニュース関連の電子データをネット検索してプリントアウトしたもの、もう一枚は手書きのメモで、「中国」、「ノーベル賞」、「人権問題」、「国連」などという文字が見える。余り仔細に眺めるのもいかがなものかと思ったが、期末試験の時期だし、学生か院生か?
そうこうするうちに、彼女は右手にケータイ、左手に電子辞書を持ち、ケータイで文章を打ち始め、これは感じからするとメールというよりレポートのようなものを書いているようなのだが、そして左手では時折電子辞書を引いて単語の検索をしている。右手は親指シフト、左手は片手でキーボードを実に自然にこなしている。そのうち、ケータイで電話も始めた。車内なのでマフラーに口を押しつけて周囲に聞こえないようにしているが、レポートとのことを誰かと話をしているのだろうか。それとも、全然違う用件か。
こんな風に電子端末機能を同時進行で使っているのに感心した。ご本人には失礼をしてしまったが、ついつい観察してしまった。この程度のことは、いまでは当たり前のことなのかもしれないが、車内で始終見かけるゲームに熱中している光景よりは、なんだかホッとするような好ましいような感じだ。ゲームが悪いとは言わないが。
ところで、これって読書や資料調べ、そしてレポート作成が時間と場所から解放されただけのことで、つまり紙と鉛筆が電子機器にとってかわられたということ以上の特別のものではないということか、それとも人間の意識行動に何か重要な変化が起こり始めていると読みとるべきなのか、どうなのだろう。かつて家電革命、洗濯機や掃除機の登場により、主婦たちが家事から解放されて時間の消費に劇的変化?が起こったこととは違うのか、同じなのか。違うとすれば何が…。
PCやケータイでサラリーマンの仕事だって考えられなかったほどの変化が起きたのだから、ぼくが車内で見た光景も特別なことではないだろうが、< 知的行為>という意味ではやはり興味関心を覚えた。彼女自身は、以前なら自宅か図書館かの机に拘束された時間を、好きに使う自由を手にしたということなのだろうと想像してみたのだが。

それにしても僕は情景描写の文章が下手だ。

1/14(金)
風邪進行中。一日おとなしくしている。

1/15(土)
「切りとれ、あの祈る手を-< 本>と< 革命>をめぐる五つの夜話-」(佐々木中・河出書房新社)を読み始める。ひどく面白い。帯に” 革命の本体、それは文学なのです。暴力など二次的な派生物に過ぎない”とある。
埴谷雄高が自らを「紙の上の変革者」と言っていたのを思い出した。紙をデジタル・ディスプレイと置き直しては何の意味もない。言語と文字を抜きにして人間を語れない。読み終わったところで、新しいあや取りを仕掛けよう。

1/16(日)
NHK会長決定。
バタバタもさることながら、時間をかけて選定した候補がひっくり返った後に、ほんの数日で次の候補に決まるというのもなんだが変だ。違和感が残る。NHKの存在、NHK会長の機能役割がひどく軽く見られている感じで、放送界として問題。

「チュニジア騒乱ネットで加速」「強権国家、ネットに敗北」の見出し(朝日)。
フェイスブックやツィッターによる市民の情報活動が独裁政権を崩壊に追い込んだという。チュニジアの情報環境、テレビやネットの普及率や利用状況を知らないが、というよりチュニジアについて知っていることはほとんどないといってよい。報道から推測するに、政府はマスメディアをコントロールできても、ネットの言論活動は抑え込めなかった、ということか。
軍や警察といった物理力の独占とメディアの情報管理は権力の直接的な基盤である。昭和20年、満州国崩壊の時に満映(満州映画協会)の機材を抑えようとして、国民党軍、八路軍(共産党)、ソ連軍が争ったというのはそういうことなのだ。では、ネットは常に< 権力の外=自由>でありうるか。民主的と言われる国家の権力構造とディアそしてネットとの関係がいかなるものか、ネットによる人々(=ユーザー)の情報活動が急速に展開をしているとはいえ、この点では私たちは< 未知との遭遇>を経験しているのである。

ついでに、チュニジア問題について「中東」という言葉が使われているが、チュニジアは北アフリカ(古代カルタゴの地)であり、ローマ帝国時代には地中海世界の構成地域であって、今ではイスラム圏には違いないが「中東」ではあるまい。「中東」の「東」はオリエントで、西欧社会とオリエント=東方の中間が「中東」だ、そう思って広辞苑とウィキペディアで調べてみると、アフガニスタン以西から北アフリカ北東部までが「中東」だという(つまり北アフリカ北西部のチュニジアは入らない)。しかし、G8では北アフリカ全部を含む拡大された「中東」(チュニジアが入る)が提案されたとされている。こうなると、何が「東」で何が「中」良く分からない。そういえば、「小アジア」っていうことばがあったなァ…。こういう風にある地域を西欧あるいは先進国からの距離や方角で括るのも< オリエンタリズム>的思考というべきか。

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 < アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは”蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいからNHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。

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