あやぶろ

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20146/18

そこに、パースペクティブ=展望はあるか?2014年の論点⑤

停滞する民主主義が進化する途

ワールドカップの中継番組の瞬間最大視聴率が50.8%だったそうです。このニュースを見て5月24日に掲載された、城所賢一郎さんの『アミ焼きにされる民主主義』を思い出しましたので、この文(あや)をとりたいと思います。
城所さんが指摘された問題は、日本だけの問題でなく、現在の人類社会共通の問題です。私は、この問題に応えるのはメディアデザインであると考えています。民主主義のメディアデザインはまだ存在していません。
そこで、民主主義のメディアデザインがどのように実現できるかの考察を具体的な取り組みも含め、まとめてみました。
■ベータ版を完成品と捉える誤解と不毛な議論
■国民の1.4%しか政党に繋がっていない
■メディアと世論調査の問題
■善意の果ての破滅の可能性-ある町の話
■どうすればいいか?
上記のような章立てです。お読みください。

■ベータ版を完成品と捉える誤解と不毛な議論
民主主義はベータ版であり、未完成なものをその時々の情勢に合わせて使っているに過ぎません。民主主義を完成品として捉えると不毛な議論の繰り返しになります。
改善点が常に見出されるのがあたり前の社会運営のソフトウェアなのです。
(丸山真男氏はフィクションという捉え方をしていました。)
民主主義の訳語のもとはDemocracyですが、この本意は主権在民に近く、民による社会運営(強く言えば支配)と言えます。この考え方は、日本の封建社会が培ってきた、階級制度や、お上という概念には馴染まないものなのですが、では、なぜ、民主主義というものが金科玉条のように扱われるかというと、おそらくは日本国憲法の第一条にあります。

日本国憲法第一条
第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

この条文は、天皇のあり方とともに、主権が日本国民にあることを規定しています。大日本帝国憲法において主権は天皇にありましたが、それが、私達のものになっています。
ベータ版を繰り返して、リリース後もバージョンアップを繰り返してその終着として得られるであろう主権在民が、いきなり最初に達成されたことで、未完成を完成したものと捉える誤解が生じているのではないでしょうか。

チャーチルによる政治体制として民主主義を評した言葉に次のようなものがあります。
「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主制が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主制以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」(1947 下院での演説)
“Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time.”

チャーチルの言うように、アップデートたる”try”の繰り返しを果敢に行うことが私達の責務であります。しかし、そういった責務があるということがあまりしらしめられていないと、私は自分の受けてきた教育、周囲の大人から受けた言動から感じています。
tryせずに、それぞれがそれぞれの立場で「正常に動作しないぞ」、「コレは仕様だ」と言って、アップデートが停滞しているソフトウェアが現在の民主主義です。
民衆におもねると衆愚化するのは、ギリシャ、ローマの滅亡を見ればわかりやすいのですが、そこから得られる教訓は、民自身が幅広い視野で物事を考え判断できるようにしなけれらばならないということです。これはメディアデザインの領域です。社会を動かすソフトウエアを日々アップデートするコミュニティに理想的には全ての人が参加できる社会が望ましいのですが、いままでは技術的、コスト面で事実上不可能でした。

■ 国民の1.4%しか政党に繋がっていない
自由民主党の党員数は約80万人
民主党の党員数は約22万人
みんなの党は、約1.2万人
公明党の党員・党友数は、約44万人
社会民主党の党員・党友数は、約1.7万人
日本共産党の党員数は、約31万人
合計すると、約180万人
日本国民の1.4%が政党に直接的な繋がりを持っています。
この数字をどう見るか?(少ないというのも早計。)
ちなみに人口が日本の3倍のアメリカを見てみると、
共和党の党員・党友数は、約3130万人
民主党の党員・党友数は、約4350万人
合計すると、7480万人
これでも近年のアメリカは二大政党制が従来のように機能せず、党へ支持が薄れているといいます。
代議制民主主義において、政党は議員の母艦であり、議員の品質保証、評価を継続的に受け止めることをある程度担う仕組みです。しかし、政党に参加する国民が1.4%という状態は政党にとっても、国民にとっても不幸な状態といえるでしょう。
しかしながら、政党党員・党友数が増えればいいのか?という問題設定は正解ではないでしょう。政党の情報分析と編集機能がない限り、党員・党友が増えてもあまり状況は変わらないか、却って問題が複雑化すると思います。

政党支持率では、「支持政党なし」が50%-60%に達しています。何らかの党を支持するが、党員ほど熱心な支持ではないという人が40%強存在し、このことは、党員・党友という関わり方の障壁がいかに高いか、メリットを感じないかを物語っています。
また、投票率は年代によって大きく差があるものの、21世紀に入ってからは50%前半から60%後半を推移しており、50%程度の投票率の場合、有権者の2割程度の支持があれば、4割の票を集めることで大勝することも可能となっています。

政治が日常的なものではなく、日常から遠い、誰かのものになっています。
民主主義のアップデートは遠のくばかりです。
なぜ、こうのように本来的に民主主義社会に求められる、政治への参加が疎まれているのでしょうか。それは、「関わってもどうせ何も変わらない」という認識は蔓延しているからでしょう。特に年代が低くなればなるほどその傾向は高いのではないでしょうか。
また、すでに政治にかかっている人の一部には、「自分たちの影響度が低下するから、そんなに興味を持たれても面白くない」という気持ちもあるかもしれません。
いずれの認識、気持ちにとっても、情報の流通の仕方=メディアデザインが実は大きく影響しています。

■ メディアと世論調査と政策の問題
メディアはニュースが好きです。新しいことを早く伝えることが評価されます。見方を変えれば、既にある問題、課題をしつこく深堀りして新しい視点を発見するということに力を注ぎません。
電波メディアは、放送を”放ち送る”という概念を強く持っています。
新聞も記事がいつまでも保存されるという発想を強くは持っていません。
受け手である視聴者、読者が忘れることを前提としています。そのため取材内容は過去の取材を踏まえたものになりにくく、非連続的です。

世論調査は政権にも重視され、ニュースとしても注目されやすいものですが、問いかけ方によって、回答はある程度操作することができます。より根本的な問題ですが、回答者は設問内容についてよく知らなくとも感覚的に回答することができます。
事実やデータを知らない人が、なんとなく答えることができそれが社会の声として提示されることに世論調査の問題点があります。

この結果、政策は明確な論拠がなかったり、間違えがわかった場合のリスクヘッジを備えないまま、支持/不支持の調査結果で策定されていきます。
すると、ますます、「関わってもどうせ何も変わらない」という認識を補強していきます。
今年のはじめ、ある省庁が発表した内部改革の書面に、” 現状分析とエビデ ンスに基づく政策立案”とあったのですが、このようなフレーズが出てくる  ということは、官僚機構の中に現状分析が不十分で、論拠に基づかない政策立案が少なからずあるという認識があるのでしょう。

■ 善意の果ての破滅の可能性-ある町の話
人口の社会減に直面しているある町が、住民を対象にした調査を行うと、今後、優先してサービスの質・量を上げる項目として「家庭雑排水の処理」「廃棄物」「保健医療」「農業振興」などがあがります。
ただ、さまざまな統計データから見ると、そのようなことを行ってもその町の最大課題である、人口の社会減を解消できません。しかし、町としては調査結果を踏まえて町の計画を考えざる得ません。その結果、町の住民の声に応えることで、町の社会減が一層進んでしまうという構図がありました。

なぜ、人口が減少しているか?人口減少にも自然減と社会減があり、その2つを区別して対処しなければならないこと、周囲の町や市を商圏として捉え、比較分析の上で比較優位を築かなければならないことなどを理解していなければ、調査に適切に答えることができません。
また、調査は20歳以上が対象であり、次世代を担う人たちの声を聞けていないのです。

町の住民にも町役場も町の状況を悪くしたいとは思っていません、寧ろ、善意の元に調査に応え、調査に基づいた取り組みを進めます。しかし、その先にあるのは、さらなる人口減少です。
これは実例です。同じような構図は、日本全体にあるのではないでしょうか。

■ どうすればいいか?
解決策はあります。
日常的に、社会課題について考え、見解を表明できる仕組みの元に、オンライン上で継続的に国民と政治家が繋がるメディアをつくることで、現状の問題のいくつかは解消できると考えています。このメディアには、その社会課題について、取材し分析を行う橋渡し役(ファシリテーター)が必要です。

マーケティングには、CRM(カスタマーリレーションマネジメント)というものがあり、顧客と企業との関係(リレーションシップ)をつくることで、顧客と企業が互いにメリットを生み出しやすくする仕組みがありますが、
政治、政策の分野にはこうした仕組みはまだありません。

私は、この仕組みをPRM(ポリシーリレーションシップマネジメント)と名づけて、以下のように定義しています。
政治家と国民の「考え」と関連する情報を政策ごとに統合管理し、
政治と国⺠との長期的な関係性を構築、継続的な利用を促すことで
国⺠主権の社会運営、住民中心の都市、街の経営を図る、
行政と⺠主主義の新手法

この仕組みは小さな規模でも運営できますが、テレビ、新聞、ネットなどのマスメディアと連携することで、真価を発揮します。
民主主義の停滞は、人の意識に根ざすものありますが、それ以上に未完成を完成品とする見方、イデオロギーとして捉えてしまう勘違いから生じていると思います。
民主主義は一種のオープンソフトウェアです。
PRMをテレビ番組、ニュース記事などの形で具体化することで、さらに進化し、いまの民主主義から”バージョンアップした民主主義”を手に入れられるはずです。

続くー

 

 

岩田崇/ iwata Takashiプロフィール
1973年名古屋で生まれる。が、箱庭的風土に疑問を感じて上京。早稲田大学卒、広告業界でマーケティングプランナーとして販促企画から企業のネット コミュニケーション戦略の策定・実施を手がける。仕事を通じて、政治分野へのマーケティングとコミュニケーションの応用が今後の日本社会に必要と考え、慶 應義塾大学大学院 政策・メディア研究科に入学。
修士研究では、政治学の曽根教授、行政改革の上山教授に学び、合意形成に繋がる議論の場がない日本政治の機能を補う仕組みとして、オンライン政策ファシリ テーター:『ポリネコ』を開発、特許化。また研究とは別の発明として、企業と社会のつながり視覚化する方法を開発し特許化。
フジテレビ『コンパス』、朝日新聞『オルタナティブニッポン』では、既存メディアとソーシャルメディアの組み合わせによるコンテンツを企画開発、新潟市では公共交通の再構築にも携わる。
現在は、メディア環境の変化を踏まえ、合意形成コミュニケーションメディアとしての『ポリネコ』の実用化、新しいニュース、討論番組の開発などに取り組む。
「Challengingな仕事、大好物です。」 twitter:iwatatakashi

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