あやぶろ/OLD

テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ

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20131/30

視聴者は「視聴者」でなく「ユーザー」になった

 

視聴者とユーザーは何が違うのか。
テレビを見ている人を「視聴者」と言ったとたん、遠さ、疎遠さ、冷たさまでも感じてしまうのだ。かなり前の山脇伸介さんのエントリーでの 鋭い考察に、「視聴者」という言葉が持つ冷たいイメージの原因が、明確に説明されている。

 

『思えば、テレビも新聞も雑誌もなくても困らないと思わせるのは、「私」にとってまったくの「他人」だからだ。「他人」とは「私」が存在していようがいまいが、関係ない存在。(略)「私」の存在によってもなにも変わらない「他人」メディアに親近感なんか感じるはずもない。そして、スマホユーザーの8割が利用しているというソーシャルメディアのコミュニケーションは良くも悪くも「私」に存在する場を与えてくれる。あるいは「存在する場がある」と錯覚させてくれるものだ。(略)「私」の存在を無視して、自らの価値観を押し付けてくる巨大メディアに、嫌悪感や反発を覚えるのはごくごく自然なことだと私は思う。』
つまり、「視聴者」とテレビは、「他人」の関係なのだ。

 

ソーシャルメディアは視聴者にとって禁断の果実だった。半世紀もの間、視聴者とテレビはとても仲が良かった。しかし視聴者がFacebookやTwitter、LINEなどの禁断の果実を食べたとたんユーザーに変わり、ユーザーとテレビという別の関係になってしまった。

 

テレビ番組は大部分が「視聴者」向けに作られている。「ユーザー」向けではない。「ユーザー」なんてまだまだ少数だと思っているからだ。
では「ユーザー」、つまりソーシャルメディアという禁断の果実を食べてしまった人はどれぐらいいるのか。インターネット白書2012によると、昨年の時点で約5,000万人にもなるそうだ。しかも急激に増加している。これは昨年末あやとりブログにも書いた

 

テレビ局は、視聴者がユーザーに変わった事に早く気付き、ユーザーの新しいニーズに適応したコンテンツを試行錯誤しながら開発しなければならない。
新しいニーズ、つまりテレビ番組の面白さの基準が変わってしまったのだ。新しい基準を見つけるのは、試行錯誤の連続になるだろうがやらなければならない。

 

 

既に、最先端のメディアやコンテンツビジネスの現場では、視聴者を「視聴者」ではなく「ユーザー」ととらえている。
TechWaveに載ったバスキュールの西村真里子さんのCESレポート、『テレビ視聴、広告の未来はどうなるの?CES 2013に見る米の試行錯誤の最先端』に、非常によくまとめられているので、引用させていただく。

 

 

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