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201112/8

宮城被災地を訪れて① ー 堀 香織

11月19日〜20日の週末、企画リサーチのため宮城県の被災地を訪れた。仙台でレンタカーを借り、初日は石巻市を、翌日は南三陸町と気仙沼を廻った。
行くに際しては場所をリサーチしておいた。石巻市は児童のおよそ7割が亡くなったという大川小学校。南三陸町は職員の遠藤美希さんが津波に襲われる寸前まで避難を呼びかけていた防災庁舎。気仙沼は全従業員を(本人の離職以外は)解雇せずに営業を続けている、水産業+ホテル観光業を営む阿部長商店。
どれもニュースなどで耳にしていたが、調べれば調べるだけ、その日に何が起きたのか(そしてそれ以降何が起きているのか)胸が痛むような詳細がわかってきた。

震災後に宮城を訪れるのは2回目だった。1回目はGWに5泊した。
目的は「ボランティア」ときっぱり言いたいところだが、それ以上に強かったのは「被災地と被災者の現状をこの目で見ておきたい」という想いだ。正直行くべきか行かざるべきか何日か迷った。しかし、仙台市に住む知人が「僕は人を助けたいという使命感だけが正しいとは思わない。被害がどれほど大きいのか、テレビや雑誌で伝わらないものを個人的には見てほしいと思うし、まして堀さんみたいにボランティアに参加するというのであれば、東北を代表して僕が歓迎します」と言ってくれたのが後押しとなった。
詳細は個人ブログで途中まで書いたのでここでは割愛するが、東京では実情がわからなかったボランティアの受入状況なども現地では情報を得ることができ(それは刻一刻と変化するので対応には追われるが)、2日間、仙台市内のボランティアに参加することができた。あとは知人に紹介してもらった河北新報社の方に誘われ、「震災ツーリズム」に1泊で参加した。個人で被災地を車で流すのと、被災に遭われた方々の話や説明を聞きながらその場所を見るのとでは理解に雲泥の差があると感じた。とにかく「来てよかった」と心から思えた。

11月19日は小雨が降っていた。途中で高速道路を降りて、松島へ向かい、そこから海づたいに石巻市へと向かう。
14時少し前に石巻市の港近くにある日本製紙に着いた。煙突からは煙が出ていた。そこからは圧倒的な瓦礫の山が続いた。石巻市内の汚泥にまみれた瓦礫の量は、岩手県の総量よりはるかに多いという。実に123年分のゴミが市内49箇所に置かれているのだ。
海沿いの道を左折して前方を見ると、開けた平野の奥に山を背にして学校が見えた。
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門脇(かどのわき)小学校だった。海から小学校までの距離は約500メートル。しかしそこまで、驚くほど、何もない。この「何もなさ」に、言葉が出ない。道の途中に2本の松の大樹が残っていて、小さな祠があったので手を合わせた。もともと神を奉った場所だから樹が倒れなかったのか、または倒れなかったから神を奉るのか、ふと疑問に思った。
門脇小学校の校舎は黒々と煤けていた。ひどい火事に遭ったようだ。
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調べると、南と東、つまり海と旧北上川の2方向から流された家と車が小学校の校庭を襲い、炎上したという。子供たちは当時の校長の的確な指示のもと、裏手の日和山に素早く避難し、当日早めの下校をした児童と欠席した児童以外は全員難を逃れた。
車が2台停まったのが見えた。埼玉県から来た小学生の子供をふたり連れた夫婦と、山形県から来た男性3人組が、それぞれ無言で校舎に近づいていった。

それから同じ石巻市の大川小学校へと向かった。雨はだいぶ激しさを増していた。
15時過ぎ、目印となる大橋の横を過ぎると、これも信じられないことに、瓦礫を集めた大きな山以外には、町があったとは想像しえない、何もない風景が広がっていた。
大川小学校の正門跡地には、被災学童鎮魂供養のための慰霊碑が建てられていた。回りに「わ」ナンバーの車が何台かあり、数人が供養塔に手を合わせていた。これが日常的な光景なのだろう。
祭壇にはありとあらゆるキャラクターのぬいぐるみ、在りし日のころの小学校と周りの街並みを写した遠景写真、そしてたくさんの菊が供えられ、つけたばかりの線香が赤々と燃えていた。母親から娘への手書きのメッセージもあった。そして「食物や飲料やお金はお供えしないでください。毎日保護者が掃除をしています」という張り紙があった。
慰霊碑に手を合わせたのち、雨にそぼ濡れた2階建てのモダンな校舎を見る。
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それは廃墟だった。無惨としか言いようがない。渡り廊下は支えの柱が折れたため、ねじれて倒れている。そして何人かの子供が助かったという裏山は、校庭から驚くほど近い。YouTubeやニュースで何度も見た風景のはずなのに、自分の目に映るそれは、ぜんぜん違っていた。卒業生が作成した壁画の鮮やかな色彩にも胸を突かれた。
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供養塔に戻って、もう一度手を合わせる。被災者ではなくボランティアでもない者ができることなんて、祈ることぐらいだ。でも、心から祈る。細かい霧のような雨が指先を恐ろしく冷やしていく。慰霊碑にはやはりカメラは向けられなかった。

その後、雄勝町を通り(2階建ての公民館の屋上にはまだバスが載ったままだ)、16時過ぎに女川町に入った。ここも、何も、なかった。夕暮れの暗い町で、唯一、崖の上に建つ立派な女川町立病院の明かりだけが、そこに生活や営みがあることを示していた。

【管理人より】
原稿の長さが容量の限界を越えたので、次回に続きます。

堀 香織(ほりかおる)
フリーライター。1971年石川県生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業後、雑誌『SWITCH』の編集者兼ライターに。6年勤務ののち、フリーとなり、インタビュー原稿の執筆や単行本の取材・校正などを行う。現在、某映像制作プロダクションに在籍し、デスク兼リサーチャーとしても活躍中。
blog「夜想小話」http://holykaoru.exblog.jp/

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