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20128/28

8・28【「ただの現在」としてのテレビ または メディアと時間について ② 】北原俊史

(・・・前半からの続き)

前回は、20世紀後半に起きた大衆社会とテレビの親密な関係について申し述べました。そして、21世紀に変化が生じたと付け加えました。それはどのような変化であったか。
一言で申し上げるならば、テレビ放送のデジタル化がもたらした、メディアとしてのテレビの多角化です。

21世紀の最初の10年間、放送業界の最大の課題はテレビ放送のデジタル化を予定通り達成することでありました。国策として政府主導で進行してゆきましたが、業界全体としても兆単位の資金が投じられたという空前の規模の大事業でありました。私も、5年ほど前からこの事業における普及促進活動の最前線に身を置かせていただいております。
普及促進活動というのは、全国の5000万以上と言われる全世帯にデジタル機器を購入していただく為のお願いをするという事です。限られた予算の中でこれを達成するためにはマーケティングの手法が欠かせません。というわけで様々なセグメンテーションを行いました。これは、ご案内のように、常識的類推による判断では見誤りがちな社会の現実の動きを把握し、最適な戦略を練るために行う調査です。その一つを以下にご紹介します。

・図表の表示にバグがあり、修正しました

 2011年7月24日にテレビ放送の完全デジタル化(アナログ停波)を掲げていましたので、これはその1年10か月前の調査です。まだデジタルテレビの価格も高く、従って、世帯収入とデジタル機器の普及率は基本的に正の相関関係を維持しています。しかし、グラフの両端ではそれが崩れていることが見て取れます。なぜそのようなことが起きているのか。この分析には結構悩まされました。皆さんはどうお考えになるでしょうか。

右端、超高所得者については、その年の12月に重要なヒントをいただきました。我々は毎年12月1日にデジタル放送の日と銘打って、パブリシティのためのイベントを開催しておりました。そして、国策でありますので総責任者である総理大臣にも出席を要請しておりました。2009年は鳩山由紀夫首相(当時)が登壇して国民への協力の呼びかけと関係者への激励を行いました。その檀上、司会役の草彅剛さんが、会話のつなぎに「首相の家では何年前にデジタルに替えました?」と尋ねたところ、過激な正直者として知られる、この政治家は「うちはまだアナログです」と言い放ったのです。パブリシティとしては完全に逆効果で我々は、すっかり頭を抱える羽目となるのですが、それは本稿のテーマから外れるので省きます。鳩山氏は大資産家としても知られ、年収は3000万円どころではないはずですが、何故デジタル機器を購入していなかったのか。「テレビ、あまり見ないからなぁ」と、後で側近の方に漏らしたそうです。

放送法には放送の社会的役割として「報道」「娯楽」「教育」「教養」が掲げてあります。確かに、昭和後期におけるテレビの役割は、この通りであったかと思います。特に高度成長期のサラリーマンは最先端情報をテレビから得ていました。私の父などは毎朝6時に朝食をとりながらNHKニュースを見て何やらメモをとり、1日の仕事の設計をしておりました。しかし、今日では、最先端のビジネスマンで主たる情報源をテレビにおいている人など一人もいないと思います。例えば、ネットでシカゴやロンドンの動きを確認してから出勤、通勤中もスマホで…といったような方が多いのではないでしょうか。

「娯楽」「教育」「教養」についても、昨今では、多少の費用をいとわなければ様々な選択肢が用意されておりますので、余裕のある方々は、それをテレビに求めようとは、ほとんど考えていないようです。彼らにとってテレビはテレビ全盛時代のラジオのような位置づけにあるのではないかというのが、私の感想です。ほとんど使わないけど、あった方がよいもの、と言ったところでしょうか。あまり使わないので、買い替える必要も特には感じないという事のようです。

さて、次に左端です。デジタル化の経緯に詳しい方にこのグラフを見せると「無収入の世帯のデジタル機器保有率が高いのは、政府がデジアナ変換チューナーを配ったからだ」と必ず答えます。残念ながらそれは2009年11月からでこの調査の2か月後です。本格化するのは年が明けて2010年からです。しかし、この施策のおかげで最貧困層のテレビに対する思いについて知ることができました。

2010年の春ごろ、一人のお婆さんが泣きながら「テレビが見えなくなった」と言って、私どもの事務所に入ってこられました。聞けば、生活保護を受けていて、政府からデジタル→アナログ変換チューナーを支給されたのだそうです。この装置はアナログテレビの外部入力端子を利用して受信できるようにするというものですが、大きな欠点がありました。係員が取り付けて帰った後、ついうっかり従来からのアナログテレビ用リモコンで6チャンネルなど押してしまうと外部入力から信号が外れ、見えなくなってしまうのです。そうなると、高齢のご婦人などでは、まず元に戻すことは不可能となります。お金がないので電話も掛けられないが、政府が用意したパンフレットにうちの事務所の住所が乗っていて、生活保護世帯無料の都営の交通機関で来れる場所だからということで片道1時間半かけてやってきたという事でした。さっそく担当機関と連絡を取り合って、視聴可能状態に回復させたところ、お婆さんに拝み倒されまた泣かれてしまったとのことでした。「よほど、テレビが好きなんでしょうなぁ」とは、お婆さんの家に同行し回復を手伝った技術者の言です。

この年の春は、このような事例が全国で頻発しました。その後、対応マニュアルが整備されて発生しなくなりましたが、テレビに熱い思いを抱いている方がまだまだ多数存在していることを肌で感ずるよい機会となりました。

テレビは非常時に必須の情報インフラという事で生活保護世帯においても所有を認められています。設置すれば、当然情報だけでなく娯楽も教養も享受することができます。収入の無い方にとっては掛け替えのない楽しみであり、社会との唯一の絆であったりもします。生活上どうしても必要なものという事でニーズが高く、従って生活保護費を切り詰めて貯金してでも、チューナーを買って(当時はもう数千円に下がっていました)取り付けていたのではないか、というのが左端についての私の推測です。ちなみに、デジアナ変換チューナーはデジタル波を受けますので山間部や都会のビル陰などアナログ波の受信状態が劣悪(ゴーストなど)な場所では劇的な画質改善をもたらします。

さて、21世紀に入っていわゆる「格差社会」が非常な勢いで拡大しています。年収200万円以下で生活している国民が全体の15%ほどに達しているというデータもあります。年収200万円の人と2000万円の人では興味関心がまるで異なっているのが普通です。「一億総中流時代」を支えたテレビの時間感覚=「ただの現在」も当然、大きな変化を求められています。

この観点と、上記のような経験から私は、21世紀に入ってテレビを巡る「ただの現在」は大きく3種類に分化しているのではないかと考えています。

一つは高所得世帯のオンデマンド型「ただの現在」。これはその世帯・個人の必要に応じて流れる時間で、ほとんど世帯ごとに別々の時間が流れているともいえます。

二つ目は昭和以来のテレビ局主導の「ただの現在」。低所得世帯はほぼこのパターンで、テレビへの熱い思いは昭和以上のものがあると思います。

三つ目は、中間層の「ただの現在」。ソーシャルメディアとブロードキャストが様々な組み合わせで日々変化し、個人とテレビ局の間で時間軸の主客がクルクルと移動しているという印象があります。テレビ局が現在開発に注力しているのが、ここのところだと思いますが、この階層は広くニーズも多様であるので局の思惑通りにコントロールできるかどうかは甚だ疑問です。

この三つの「ただの現在」ですが、志村さんの言っている「ユーザーのオンデマンド性を許容するプラットホーム」「暦を刻む放送」「時間と空間を管理するスマホメディア」という分類とかなり重なっているように思えます。興味深いことです。

ソーシャルメディアを始めとする映像メディアの激変は、よく、技術的進化と関連する文脈で語られます。それは、勿論その通りであるわけですが、社会階層(階級?)の変化によるニーズの細分化の要素も大きいのではないかと思います。トロツキーなら「革命的状況が生まれている」と言ってもおかしくないような社会経済状況ですが、無産階級は、マルクスの時代と違って、テレビにより社会に繋ぎとめられ、疎外感を持つに至らず、従って革命的にもなっていません。そして、「マス」の渦の外に出た多くの中間階層に対しては、ソーシャルメディアが同様の役割を果たしていると言えるのではないでしょうか。

世界的に見ても、ベルリンの壁を崩壊させたのは社会主義諸国民を「ただの現在」の渦の中に巻き込んだテレビの「マス」の力だったのですが、現在、イスラム諸国で進行している「ジャスミン革命」を動かしているのはソーシャルメディアの「鎖をほどいてゆく力(どなたの表現でしょうか?)」なのです。

前稿で私は「テレビがマスの時代を作ったわけではないが、マスの時代を支えたのはテレビだ」と言いました。同様に「ソーシャルメディアが格差社会を生んだのではないが、格差社会はソーシャルメディアを必要としている」と言う事は出来るように思います。

「それでは、社会矛盾を補完しているという事にしかならんじゃないか」というご批判はごもっともですが、とりあえずは「志村さんの言う『自律ある個』であろうとする意志の問題です」とだけお答えして、名刺代わりと言いながら、長大になってしまったこの駄文を〆させていただきます。ご精読ありがとうございました。

 

北原俊史プロフィール
1976年NHK入社。「歴史への招待」「YOU」など教養系、青少年番組系のディレクターを約15年。「新・電子立国」「マネー革命」「故宮」など特集プロデューサー約10年。番組広報部長、衛星第2放送編集長、放送文化研究所メディア研究部長などを経て、デジタル放送推進協会(Dpa)理事。なぜか中小企業診断士の国家資格を持ち、休日には町工場の親父さんの相談に乗っている。もちろん制作プロ、放送局の経営相談にも応じます!!

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