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20128/28

8・28【「ただの現在」としてのテレビ または メディアと時間について ① 】北原俊史

初めて書かせていただきます。北原と申します。テレビ局員ですが業界団体に出向しています。
志村さんのメディアと時間に関する議論が面白くて、私もぜひ参加したいと思い立ち、お願いしてスペースを頂いたまでは良かったのですが、生来の遅筆で「ああだ、こうだ」と迷っているうちに志村さんの筆はどんどん先に進み(「ロンドンオリンピックとメディア」すごく良いですね!)、トラック競技の周回遅れランナーのようになってしまいました。すぐにでも<あやとり>に出たいと思うのですが、どこの馬の骨ともわからん奴がいきなり志村流の時空間メディア論に参入するのもあれでしょうから、とりあえず自己紹介も兼ねて、自分がテレビメディアと時間の関係に興味を持つきっかけとなった、テレビ論の嚆矢ともいうべき「お前はただの現在にすぎない~テレビになにが可能か」(萩元晴彦/村木良彦/今野勉:1969)についての論考から始めさせてください。テレビメディアと時間の関係を考えるとき、欠かすことのできない本だと思いますし、志村さんの議論と根底では通じると思いますので。
また、一応「論」ですので、語尾を「である」調に変えることをお許しください。書いてゆく勢いというものもありますので。

「お前はただの現在にすぎない~テレビになにが可能か」が復刻され、結構売れているそうだ。AMAZONの書評には「今だからこそ読まれるべき一冊である。いささかも古くなっていない」とあった。
この本とは高校生の時に出合った。背伸びしたい盛りでカバンの中に入れて持ち歩き、人の見ているところで広げては読んでるふりをしていた。白状すれば、本当は良く分からなかった。ただ、著者3氏のテレビに対する情熱は、しっかり伝わってきて、活字文化とは違うラディカル(当時、非常に流行したフレーズ)な知的冒険への思いで胸が熱くなった。その頃、世の状況は沸騰という言葉がふさわしいほどにエネルギッシュに動いていて、好奇心旺盛だった自分はその全てを見てみたくて仕方がなかった。テレビは、そんな若者の精神的混沌を引き受けてくれる唯一の場所に見えた。結局、自分はテレビ人として人生を送ることとなるのだが、この本がなかったら、おそらく全く別の世界を生きたと思う。

「お前はただの現在にすぎない」というフレーズは、トロツキーの著作「永久革命の時代」からの引用だという。1901年、若き革命家トロツキーは20世紀初頭の世界情勢を俯瞰して、19世紀以来の諸課題が一向に解決していないように見えるがそれは「ただの現在」にすぎず、「革命的現在」を対峙させることで「輝かしい(共産主義の)未来」へと止揚させることができると、マルクス主義者らしく弁証法的に思弁して、この印象的なフレーズを残している。ここには西欧流の伝統的教養主義の時間価値観、すなわち、時間には、管理され記録される「歴史的(意味のある)現在」と、生まれては消えてゆく「ただの(無意味な)現在」が存在するという考え方が見て取れる。一般に歴史は、時間の流れ(現在)の積み重ねでできていると思われがちだが、実際には時の権力者により、彼らにとって必要な「意味のある」時間がピックアップされ、いわゆる「春秋の筆法」で編集され正当性主張の道具として整理されて形成される。そして、歴史からこぼれた俗事・雑事の類「無意味な時間」は、卑しむべき事柄として捨てられ、忘れられてゆくこととなる。「ただの現在」とは、そうした無意味な時間の別称ともいえる。

60年代の日本は、まだまだ明治に輸入された西欧的教養主義が世の思想の根底をなしていて、「大人」たちはほぼ、その影響下にあった。彼らはテレビを無意味で無価値な時間を際限なく生み出す「一億総白痴化」現象の根源であるとみなしていた。「俗悪番組」を排除して「まともな番組」を作るべきであると、影響力ある知識人のほぼ全員がそのようなテレビ論を語っていたように思う。こうした状況を念頭に置けば「お前はただの現在にすぎない」という題名がいかに挑戦的なものであったかが分かる。無意味、無秩序、混沌、などと批判され「歴史的時間」の対極に位置付けられて、やがて消え去るはずの「ただの現在」こそ、テレビのいるべき場所であると言い切っているのだから。
言葉を替えれば、「歴史性、芸術性などを斟酌、忖度することを一切排除して、テレビは移ろいゆく状況の描写に徹するべきだ」というのが、後のテレビマンユニオン創設者たちの主張だったのではなかったかと、思う。そう言えば、会社設立にあたって、まず購入したのが中継車だったという話を聞いたことがある。象徴的なエピソードとして記憶している。
その後のテレビ表現の展開について吉岡忍氏は「『現在』の質感を表現する方法論を構築したとは言い難い」と批判しているが、玉石混交が大衆文化というものだとすれば、無秩序に「ただの現在」を描写し続けたテレビは20世紀後半の日本の大衆文化そのものであったと言えるかもしれない。言い換えれば「一億総中流」と称され、「事実上の社会主義」と言われるほど経済的に均質であった戦後日本社会が、「一億総白痴化」と揶揄されるほど文化的価値観においても非教養主義的に均一化していったのは、「ただの現在」を無定見にショーアップして視聴率向上を狙うテレビの存在が大きかったという事になろうか。
大量生産、大量消費という産業資本主義の全盛時代=「マス」の時代は視聴者の「現在」感覚もほぼ均一であり、テレビがその方法論を問われることはほとんどなく、ご存じのように、「安定性」「公平性」「真実性」を求める有識者の声を適当にいなしながら、20世紀後半一杯「ただの現在」を刻み続けていった。もちろんテレビが「マス」の時代を作ったわけではない。しかしテレビ無しには「マス」の時代は決して成立しなかったといえる。その意味で昭和から平成にかけてのこの時代は確かにテレビの黄金時代であった。

これは日本だけの現象ではない。存在する全ての「現在」を圧倒的な情報量で「ただの現在」の一塊りに変えていってしまうテレビのパワーは、例えばベルリンの壁を壊し、皮肉なことに、世紀初頭の青年トロツキーの予言を裏返しにして共産主義政権を崩壊させるほどの力を発揮した。つまり、少数の者が発信し、何百万、何千万もの人々がこれを受信するという「マスメディアの構造」が貫徹されている限り、テレビは「ただの現在」に受信者すべてを巻き込み(「歴史的現在」を刻もうとした社会主義諸国のテレビは生き残れなかった)、時間の同一化を推し進めていったと言う事もできよう。

ところが21世紀に入って、この「マスメディアの構造」に大きな変化が生じ始める。

 

(・・・後半に続く)

北原俊史プロフィール
1976年NHK入社。「歴史への招待」「YOU」など教養系、青少年番組系のディレクターを約15年。「新・電子立国」「マネー革命」「故宮」など特集プロデューサー約10年。番組広報部長、衛星第2放送編集長、放送文化研究所メディア研究部長などを経て、デジタル放送推進協会(Dpa)理事。なぜか中小企業診断士の国家資格を持ち、休日には町工場の親父さんの相談に乗っている。もちろん制作プロ、放送局の経営相談にも応じます!!

 

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管理人の氏家です。
北原さんの原稿は長文なため、2回に分けて掲載する事にしました。

 

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