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20135/2

ネット選挙をきっかけに、テレビがもっと面白くなってほしい

インターネット上では建設的な議論ができないと言われることが多いですが、その理由は、情報をきちんと整理したり議論ができるサイトやサービス設計になっていないからだと、私は思います。もちろん、今回の改正ですぐに議論が活発になるとは思っていませんが、これから私たち自身が、インターネットと政治の関係を良い方向に育んでいかなければいけないのです。

 

他にも色々と列挙するとキリがありませんが、現在は、インターネットはまだまだ限定的な利用に留まっています。今回の改正によって、これまでの公職選挙法のあり方そのものにも、疑問を呈する声があがっています。1950年に制定されてから60年以上を経た法律は、時代の動きに呼応しながら改正に改正を重ねたつぎはぎで複雑怪奇な条文となっており、条文の中での食い違いや矛盾を生み出している状況なのです。

 

そもそもとして、法律は誰のものなのか。いわゆる「べからず」という禁止事項を並べて特例に特例を重ねるようなやり方は、法律全体のグランドデザインがまったくなされていない不安定で読み取り辛い法律になっています。法律を守るためには、法律が1つの筋が通り、読み取りやすいものにしなければいけません。今回の解禁は、情報発信のツールが増えただけの認識ではなく、改めて公職選挙法そのものを見直す1つのきっかけになるのではないでしょうか。その中で、やはりルールを変える必要性があるのならばルールを変え、多くの人が納得する形の法律へと変えていく能動的な活動が、民主主義の世界としての正常な働きかけ方なのです。

 

もちろん、これまで使っていたポスターやビラがいらないのかと言えばそうではありません。インターネットをすべての国民が使っているわけでもなく、人によってその使い方は千差万別です。ネットが解禁されたからと言って、すべてをネット経由でおこなう必要性もありません。考えるべきは誰に届けたいのか、誰に投票してもらいたいのかを考えた上で、ネット“も”使うくらいの意識でいるべきなのです。

 

インターネットは新しいツールです。その新しいツールをどう使っていくのか。届けたい相手と、その相手に伝えやすいコミュニケーションデザインをどう構築していくのかを、政治の世界が見つめ直す時代なのだと思います。

 

 

テレビのこれからの関係は、ネットも踏まえたUXを考えること

 

そうした動きの中、テレビなどのマスメディアはどう対応していくべきなのでしょうか。世界を見ると、日本よりも先んじてネット選挙に移行したアメリカやヨーロッパ、アジアでは韓国など様々な国で事例が出てきています。

 

例えば、テレビ番組に選挙候補者が並んで議論をし、その様子を放送しながらTwitterのハッシュタグなどで視聴者から意見を集める。集まったコメントは中継中の現場でも見れるような仕組みを作り、適宜コメントを現場の候補者も確認しながらピックアップして質問にも応えていく。もちろん、最低限のフィルタリングはおこないつつも、視聴者からの生の声をそのまま誰もが見える状況で映し出すことの一体感や参加性によって、より能動的に番組に参加する視聴者を生み出すことができます。情報を伝え、政治参加を促すことがテレビの目的であるならば、これまでの一方通行の情報設計ではなくインタラクティブな情報設計をしなくてはいけません。境さんが主催しているソーシャルテレビラボでも、選挙番組や政治討論番組による実験や試みが、議論の遡上にあがっているものだと思います。

 

他にも、候補者を応援しバイラルさせるための動画コンテンツや、セレブなどを使って注目を集めるPR活動、会員制SNSでの支持者同士での意見交換とそれをもとに政策を考える候補者など、インターネットを介して選挙を盛り上げる仕掛けは他にも数多く存在します。こうした事例が、どこまで日本の現状にフィットするかは議論すべきですが、大きな参考にはなるのではと思います。

 

ちょっとここで、インターネットとテレビの連携についても考えてみたいと思います。Twitter上では、話題になるテレビやドラマはハッシュタグで盛り上がり、そこから2次派生3次派生へと転換されていくことは多くあります。ネット上で話題になったものがテレビで取り上げられ、テレビで取り上げられたことがさらにネットで盛り上がる。1番組で考えるのではなく局全体やテレビ全体、そしてテレビとネット上とがリンクするようなデザインをすることで、テレビを楽しむ可能性の幅は大きく広がっていきます。(この辺りの指摘は、氏家さんが書かれた「発想の大転換で大ピンチをチャンスに変える~大胆提言編」にも、色々と指摘されています。)もはや、マスメディアが届ける情報は1つのコンテンツとして完結するのではなく、情報を受けた人たちがさらなるコンテンツを生み出す“ネタ”としての存在になっているのです。

 

また、テレビ番組の仕掛けで安直に「ネット的」な要素を入れても、すぐにネット民はその安直さに気づいてしまいます。「なんとなくリアルタイムで視聴者がコメントして、画面の中のタレントとインタラクティブになったら面白い」と考えるのではなく、インタラクティブの必要性、導線までのデザイン、投稿のフィードバック、番組進行とインタラクティブによる番組全体の盛り上がりを踏まえた上での構成や、予想外な出来事が起きても対処できる複数シナリオの作成といった、大きな枠組みをデザインをしなければいけません。

 

討論番組で多いのが、コメントを募集しても中継現場からのフィードバックがなく、投稿するモチベーションが上がらないことです。ましてや、コメントが中継先に映っていてもコメントが拾われなかったり参考にされている様子が感じられなければ、投稿する意味もありません。しばし夜中におこなわれている某討論番組でも、コメントの多くはFAXや電話であり、Twitterでコメントをしても肝心のコメントが番組の中でほとんど表示されません。時折アナウンサーが読み上げるだけでは、結局は都合のよいコメントしか拾わないのでは、と思ってしまいます。出演者は、パソコンを持込んで時折拾ったりTwitter上でレスをしてるのを見かけますが、その行為は番組としては黙認状況でしかありません。番組全体としてしっかりと会場と視聴者がインタラクティブを生むような議論の場をデザインし、1人1人の視聴者のみならず見ている視聴者全体の参加性を促すもの、もしくは見ている個人への強烈なフィードバックを生み出す仕掛けがなければ、インタラクティブとは言えないのではないでしょうか。もちろん、番組が目指す目的や狙いもあるため必ずしもそうである必要性はないかもしれませんが、視聴者からTwitterを通じてコメントを募集しているのであれば、Twitterで募集するなりの意味を提示する必要性を考えてしまうのは私だけでしょうか。いや、杞憂でしたら別にいいのですが。

 

(次のページへ続く)

 

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