あやぶろ

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20123/8

超個人的テレビよもやま話

子どものころ、テレビは「一日一本」、つまり一日一番組と決まっていた。

離婚した母は私を含む3人の子どもを育てるため、夜も仕事に出ていた。出勤前に夕飯を用意し、家族4人で食卓を囲む。そして母が18時に家を出て終電で帰宅するまで、私と妹と弟は3人だけで過ごす。監視の目がないからテレビ見放題になると恐れた母は、ルールを決めた。それが「一日一本」。
私たちきょうだいはそれぞれ何時から何の番組を見るかを決め、同じ番組であれば一緒に見、違う番組であれば他の部屋で宿題をしたり、読書をしたり、早めに寝たりしていた。

そんな中、私が高校1、2年生のときにハマった番組がある。
萩本欽一のバラエティ番組『ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』(TBS/1986年〜87年)と、ドン・ジョンソン主演の刑事ドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』、そしてマイケル・J・フォックス主演のホームドラマ『ファミリー・タイズ』(ともにテレ東で86年10月7日スタート)である。
これが火曜日の夜に続けて放送だったからたまらない。私は母に「週の他の2日間は見ないから、この日だけは3本見させてほしい」と頼んだ。母はしぶしぶ了承してくれた。
ヴェルサーチを着こなし、ロレックスの腕時計をつけ、無精髭を生やし、素足に靴というソニー刑事(ドン・ジョンソン)は、私の憧れ、アイドルだった。相棒のリコ刑事が黒人で尾藤イサオが声を担当していたのも、刑事モノなのに離婚とか恋愛とか別れとかサイドストーリーが見逃せないのもツボだった。
『ファミリー・タイズ』は、元ヒッピーでリベラリストの両親と、共和党の熱烈支持者で金の亡者(初めて発した言葉は「Mommy」ではなく「Money」)でもあるアレックス(マイケル・J・フォックス)の対比が秀逸だった。日本の笑えるホームドラマと言えば、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』『ムー一族』あたりを想像するのだが、これらはすべて1970年代の作品であり、リアルタイムでは見ていない。私が中・高校生だった1980年代半ばにはそういう番組はほとんど作られておらず、だからこそ大いに笑えて、ときどき泣ける『ファミリー・タイズ』に私は夢中だったのだろう。

当時、通っていた女子高で人気だったアイドルは、チェッカーズと光GENJIであり、2年生時の京都・広島の修学旅行中も、夜、ひとつの部屋にクラスの女子の大半が集まって、『歌のトップテン』を見ながらキャーキャーと黄色い声援を送っていた記憶が鮮明にある。その一般的な女子高生の趣味から完全にはずれていた私は、「明日『マイアミ・バイス』と『ファミリー・タイズ』が見たいっていっても、誰もわかってくれないよなあ」とひとり嘆息していた。
とにかく火曜日の夜が待ち遠しかった。ここまで「その日が来ること」を楽しみにしたのは、小学生のときのマンガ雑誌『なかよし』の発売日以来だと思う。1980年代のティーンエイジャーにとって、テレビはそんな一翼を担う媒体だったのだ。

先日、facebookで「一日一本」の話を投稿したら、コメントを残してくれた友人がいたので、少し紹介する。

「うちはテレビ見放題でした。子どもの頃は毎日のように映画番組があり、映画も面白かったんですが、次週予告で一喜一憂していたのが一番の思い出。いまではケーブルで映画専門チャンネルがありますが、あの頃みたいな興奮はなくなりました。歳のせいか時代のせいかはわかりませんが。」(33歳/関西出身)

「確かに昔はお願いして約束までして楽しみに見ていたね。土曜の夜に『8時だョ!全員集合』を見て、日曜の夜にアニメを見ると、週末が終わったと感じたのを覚えている。いまは録画ができるから、子どもたちはあのとき僕らが感じたような気持ちにはならないだろうな。」(52歳/関西出身)

「僕にとっては『11PM』。釣りにゴルフに麻雀に、と、巨泉さんが優雅に遊びまくっているのを見て、粋なオトナとはこういうことか!と教わりました。でも今、思い起こすと、お色気コーナーを見たかっただけかも。当時『親は早く寝てくれ!』という気持ちでいっぱいでした(笑)。」(50代/四国出身)

2歳年下の妹にも当時のことを尋ねた。楽しみにしていた番組は『ザ・ベストテン』『不良少女とよばれて』『はいすくーる落書』『男女七人夏物語』。彼女には現在8歳の娘がいるが、テレビは許可制で、勝手につけてはいけないことになっているという。

4歳年下の弟の場合は、世界名作劇場、松本零士作品、高橋留美子作品、北条司作品、タツノコプロ作品などのアニメ番組や『オレたちひょうきん族』などバラエティが好きだったという。
そして母が決めた「一日一本」については、妹は「特に守っていなかったと思う」、弟は「ぜんぜん覚えてない」と答えた。きょうだいでこのルールをずっと守っていたと思っていたのは、単なる私の思い込みだったようだ。
ともあれ、誰にとっても帰宅が待ち遠しいテレビがあった。親に内緒で見ていたテレビがあった。教室で話題にのぼるテレビがあった。テレビはアイドルと直結しており、テレビと曜日はイコールだった。
そんな時代がいまはひどく懐かしい。

堀 香織(ほりかおる)
フリーライター。1971年石川県生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業後、雑誌『SWITCH』の編集者兼ライターに。6年勤務ののち、フリーとなり、インタビュー原稿の執筆や単行本の取材・校正などを行う。現在、某映像制作プロダクションに在籍し、デスク兼リサーチャーとしても活躍中。
blog「夜想小話」http://holykaoru.exblog.jp/

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