あやぶろ

多彩な書き手が、テレビ論、メディア論をつなぎます。

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20123/16

ソーシャル疲れとテレビの対話力 (バルセロナ編)

テレビの時間はどの時間
バルセロナの建物は、サグラダ・ファミリアよりも高く作ってはイケナイのだそうだ。建て始めてから130年、未だに完成していない。
「MAKE TV」やスポーツ中継が1秒単位の変化を切り取るのに対し、サグラダ・ファミリアは100年単位の変化を我々に示す。
「テレビジョンは時間」ならば、サグラダ・ファミリアの100年を60分で表現するには、どこをどう切取ればいいのだろうか。今の1秒を切取るのか、100年分を60分に短縮するのか。川を流れる水は、すぐに何処かに行ってしまうけれど、川はずっとそこに存在する。テレビ的表現とは川なのか、水なのか?そして、そこには作り手の意思と選択があるはずだ。
スクリーンショット 2014-08-23 15.48.31「まだまだ工事が続くサグラダ・ファミリア」

記憶の想起がアートの社会的意義
バルセロナにはミロ美術館がある。美術館に収められた絵はもう変化しない。ミロの白地に赤の造形や黒い線が引かれている絵は、何を描いているのかわからないけれど、その線の形、太さ、勢いに、作家の選択がある。
それでも、日本人だったらなんとなく「書道や水墨画に近いな」みたいなことを考えるかもしれない。ミロは1966年に日本に来たと書いてあったし。書の文化のない地域の人はまた違う印象を持つだろう。
つまり、固定された絵から人は、それぞれ違う印象を持つ。その印象は、自分の記憶によって違うのだ。バランスのよいシンプルさが、多様な解釈の可能性を持ち、それが普遍性につながる。この普遍性が世界中の人を集める理由だろう。
絵は固定されているが、絵を見た人が投影する記憶、その積み重なった時間は人それぞれだ。絵が想起する記憶の量が、その絵の対話力といえる。ミロ美術館が世界中の人を集めるのは、その対話力にあるのだろう。

作家と受け手の間にある一線
固定された作家の選択を受け手の参加によって動かせるとなるとどうなるだろうか。受け手は疲れるのではないか。作家が担うべき選択を受け手が委ねられたら、ちょっと面倒だしツラい。自分が元気なときはよい。しかし、疲れているときはイヤだ。
それに、受け手の感想は受け手の所有物であって、それを作り手のものにしてはいけない。ミロの絵を見て想起される記憶はミロのものではなく各人のものである。ミロには受け手の意見など関係なく突き進んで欲しい。それが難解であってもいい。
また、受け手に表現の選択を委ねるのは、作り手のリスク軽減ではないのか。ミロが巨大なキャンバスに黒い線を引く。そこには色々な異論、批判が寄せられるリスクがある。それでも、その絵を発表する動機があり、賞讃されるリターンがある。いずれにせよ、受け手が何かを想起させられることは確かだ。
作品と受け手には明確なラインがあったほうが、お互いによいのだ。

物理層のインタラクティブ性と作品のソーシャル性の違い
氏家さんや前川センパイさんが「テレビは死んだ」と思ったほうがよいと言った。そして、その再生のために「ソーシャル性」を付加する議論がされている。先週滞在したニューヨークでも話題だった。ニューヨークでは、「ソーシャルテレビでテレビ視聴時間が増えた」といった議論や「現在は視聴者や読者を啓蒙する目線ではなく、受け手と会話しながらコンテンツを作る時代だ」というものが主流だった。
「バルス」を再現するためにコンテンツに仕掛けをするのは、テレビ再生の一つの方法論であろう。客の反応で芝居の台本を変えていく、そんな実験があってもいい。これからは、コミュニケーションをメディア領域に持ち込むのが新たなメディア像だという意見もあるだろう。
しかし、物理層とその上で展開される作品のソーシャル性をごっちゃにしてはイケナイのではないか。絵を描くキャンバスもテレビ番組を流す放送という仕組みもソーシャル性はない。しかし、その支持媒体で表現されたコンテンツから受け手が何かを想起されたら、その作品はソーシャルでインタラクティブ性を持つと言える。
ソーシャルで盛り上がる作品を作るのがコトの本質であって、ソーシャルを取り込むのがこれからのコンテンツ作りなのだ、というのはチョット手抜きな気がする。いや、そんなジャンルがあってもいいけれども。
テレビでも絵画でも受け手の想像力を想起するには未知、難解、不思議な部分が必要だ。ところが、最近のテレビのように透明性、分かりやすさばかりを求められては、受け手に何か想起させることは難しい。そこに、さらにソーシャル性を持ち込めば、送り手と受け手の一線を超え、送り手の選択するリスクが無くなり、作品の質が落ちるだろう。それは、2度目のテレビの死ではないのか。
つまり、「伝送路の哲学」は守るべきなのだ。ある手法のなかでコンテンツ制作を考える、これがテレビ局含めた表現者の使命であろう。

「ソーシャル疲れ」のために「テレビ」がある
先日ローカルテレビ局に勤務するセンパイと講演をした。彼は、大橋巨泉氏の言葉を借りて「テレビは不幸な人のメディア」だ、と言った。元気な人は外で遊んでいてテレビを見る暇が無い、テレビは病気や外で遊ぶお金の無い人だけが楽しむ娯楽だ、という意味だ。
そこで、テレビ局は「元気な人にも見てもらおう!」と考えた方がいいのだろうか。私はこのままでいいと考える。人が不幸な「時」に癒しを求めて見るのがテレビだとしたら、それがテレビの社会的役割ではないだろうか。
不幸とまで言わなくても、誰しも会社やバイト先で他人とのコミュニケーションで傷つき、疲れている。オンラインで「ミクシー疲れ」や「ツイッター疲れ」になる以上に、リアルな人生はとかく疲れる。
そんな人を癒す場として、アートやコンテンツ、そしてテレビが必要なのである。テレビもネットと同じになったら、社会に逃げ場が無くなる。

日本の放送市場はグローバルな競争力を持つのではないか
境さんポストに、世界でこれだけテレビネットワークが発達しているのは米国と日本だとある。その両巨頭のひとつ、米国は放送からモバイルブロードバンドの整備に向かっている。周波数の利用方法を放送から通信に変えようとしているのだ。
もし、米国がダイナミックに変わると、映像を放送の仕組みで実験できるのは日本だけとなる。それをガラパゴスと呼んで揶揄する人はしてもいいが、オンリーワンの商品力として新興国などでビジネスにつながるのではないか。
バルセロナの見本市で見た欧州のスマートフォンにはFMチューナーが必ず付いていた。IP配信ではなく、放送波の受信機能だ。帰りの飛行機で読んだ、サムスンのマーケティングを担当しているコムセル社の飯塚幹雄氏の著書「市場作りを忘れてきた日本へ」によれば、そもそもケータイにラジオが付いて無いと売れないらしい。知らなかった。コミュニケーション端末でも、コンテンツは求められるのだ。
いまやどんなビジネスも国内市場だけで成長するのは、無理であろう。バルセロナでの話題は、アフリカ新興国一色であった。巨大な放送文化の国日本で実験された様々な試みは、新興国にも輸出できるはずだ。国やNHKに任せず、稲井さんの言う「イノベーション」を国外で興してはどうだろう。

連立方程式について
ということで、前川センパイと河尻さんポストの①②③連立方程式について、バルセロナで考えてみた。私はやっぱり②の上で①が成立し、それゆえに③の方策が確定されるのではないかと思う。そして、「ライブ性」と「ソーシャル性」をテレビに持ち込むのはどうも賛成できない。
2時間の試合を2時間かけてするライブ中継もいいけれど、それを10分にまとめるときの表現に期待したい。これは1年前に「リアルと実物」についての議論につながる。それと、作品が受け手の参加で完成するのは、やっぱり作り手のサボりにつながるのではないだろうか。
結局、河尻さんポストの「①②はセットで真の思想になる」部分を考え続けるのが必要だと思う。

志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka

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