84歳「タヌキ」さんがソーシャルメディアに託したこと
■「かあさん」と呼ばれて7年
その後もタヌキさんは日々書き込みを続けられ、本社で開いたオフ会にも2度ほど参加された。読者サイト内のブログが炎上した際には、敢然と2ちゃんねらーに立ち向かうこともあった。私生活では間もなく仕事を辞め横須賀で独り暮らしをしていたが、1年ほど前にホームに入った。ツイッターやフェースブックにも挑戦し、頻繁にコメントをくださっていた。しばらく書き込みがないと思っていたところ、4月下旬に体調を崩して入院し5月15日に亡くなったと「孫」あてに親族からメールが届いた。
2009年3月のオフ会に参加したタヌキさん(中央)
タヌキさんは私のことを「かあさん」と呼んでいた。サイトを運営する上で、管理人としての存在感を保ちつつ親しみのあるハンドルネームをと考え、私は「毎日かあさん」と名乗っていた。年長の方に「かあさん」と呼ばれるのも不思議な気持ちがしたが、ツイッターでもフェースブックでも、呼び名はそのままだった。
タヌキさんからいただいた言葉の中で一番忘れられないのは、私が読者サイトの編集部を去る前日、5年間の双方向サイト管理人生活を振り返って書いた「記者の目」に対するものだ。以下全文を引用する。
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「新聞」とは新聞社と言う会社に所属する夫々の専門記者が書いたものが印刷されて戸別に配達され、読む方は一歩的に受け身なモノと思っていたのが、この双方向性サイト「まいまいクラブ」の登場で、一変したのは大きな驚きでした。遠い存在であった新聞社が急速に身近なものになり、思いの侭を綴って投稿できるとは、嬉しいことでした。勿論「みんなのひろば」と言う読者の投稿欄は前からりましたけど,これは双方向とは言い難いモノです。
「まいまいクラブ」が誕生していなければオフ会で毎日新聞社まで出向く事もなかったと思います。購読四十年余。これ程新聞が身近に感じられたことはありません。記者の目・女の気持ち・暮らしの一言・ニュースに一言…イロイロな場面で自由にコメントができるのは、承認制とは言え、余程のことが無い限りボツにはならないのが、嬉しいところ。でも、自分でコメントを送って出るまでは正直言って些か“心配?”でもありました。スリルも味わいました。楽しいスリルです。
中島記者は四月から新しいプロジェクト部門へ異動なさるとか。最後にこの読み応えある「記者の目」を執筆なされたのは意義あることと思います。益々のご活躍を祈るばかりです。
タヌキ
2010-3-31 7:50
(原文まま)
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記者の仕事は一期一会であることが多い。こんなふうに一人の読者の人生と7年あまり、ネットという不思議な糸でつながれて併走したのは初めての経験だった。
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