あやぶろ

多彩な書き手が、テレビ論、メディア論をつなぎます。

© あやぶろ All rights reserved.

201311/12

“Presented by…”vs“平場論”―何処にメディア変革の眼/芽があるか―

(3)そうだとすると「メディア<論>体験」の論点・焦点・争点はこうなる。
「21世紀前半のメディア状況で起こる<闘い>(敢えて闘いと言っておこう)は、「世界を全て“Presented by ・・・”で支配しよう」とする者と、“平場のクリエイタ―”の間で起こる、ということなのだ。それが見えたのが今年の夏だった。付け加えれば、平場のクリエイタ―たちだって「アップルあってのクリエイト」だろう思うのだが、それでもメディアの未来はこの関係(平場vs“Presented by ・・・”)を抜きには語れないと思う。それは、あたかも「帝国とマルチチュード」(ネグリ&ハート)の関係に似ていると言って良い(アップルが帝国の立場になるなんて・・・!)。平場のクリエイタ―の武器だったアップルが“Presented by・・・”という情報世界の仕組みを支配する、この構造変化を平場側から逆転できるかというのは、結構大事なところだろう。

(4)「風立ちぬ」論

スクリーンショット 2014-07-14 21.05.19

アニメ映画「風立ちぬ」についても「あやブロ」(9/2)に書いた(http://ayablog.jp/archives/23698)。

堀辰雄の美学と堀越二郎の技術者としての美意識の類似と背反が宮崎駿によって止揚されたかといえば、残念ながらと言うべきか、当然というべきか、そうはなっていない。メロドラマとして良くできていると書いたのは、そういうことなのだ。
しかし、作品としての映画「風立ちぬ」がそうであったとして、メディア<論>体験として何が問題かということこそ問題なのだ。
そのためのメモ書きは以下のとおりである。

■ 戦闘機の設計という<政治的行為>と技術者の美意識とはどのように関係したか。
■ 堀越二郎が立ち尽くした地点、政治の意図を超えた表現(それを表現の自立という)は可能かというテーマを、映画「風立ちぬ」は描けたか。
■ 美は政治を超えられるか。
■ これは、技術者だけでなく戦時下のデザイナー、文学者、画家、写真家、映画監督その他あらゆる表現者やジャーナリストと呼ばれる人たちに問われる問いであり、「今」そのような仕事をしている人たちに時代が先行的に問うていることである。
■ 小説「風立ちぬ」を下敷きにした映画「風立ちぬ」の抒情性が意味するものは何か。
抒情であることによる非論理的同意構造の根源とその危うさ。抒情を客体化出来るか。吉本隆明や橋川文三の捉え返しがいま必要なのではないか。
■ つまるところ、「近代の超克」は超克されていないというべきか。

(5)「非常時の言葉」
高橋源一郎の「非常時の言葉―震災の後で―」(朝日新聞出版)はとても良い本だ。この数年の間に読んだ本ではベストワンだろう。<3.11.> のような大災害の時、人は言葉を失うという。まことにその通りだ。だが、どのように悲惨な状況でも人は、あるいは言葉を職業とする作家は、言葉を失う訳にはいかないのだと、この本に書かれている。パレスチナ難民キャンプで起こった虐殺事件の現場に立ったジャン・ジュネ、胎児性水俣病の少年と向き合う石牟礼道子、の後に自分の小説「神様」をリメイクして「神様2011」を書いた川上弘美、等などの文章を読み砕きつつ、自分の言葉で考え書くことの大切さを高橋源一郎は語っている。そこには、“Presented by ・・・”ではないコミュニケーションの可能性が語られている。というより、“Presented by ・・・”では、コミュニケーションが失われるということを、高橋源一郎の文章から読みとれる。

そうなのだ。「平場」とは自分の言葉で思考し行為することなのだ。
さて、ここから一つの仮説を立ててみる。それは、 “Presented by ・・・”の“・・・”の最たるものは国家なのではないかということだ。国家による言語管理と抒情の形成こそ「平場論」が向き合わなければならない根本のはずだ。“Presented by 国家”の<風下に立たない>と決意するところから「表現=行為としての平場」が始まるのであろう。<彼等=平場ist>は、そこをさりげなくシレっとやって見せるだろう。楽しみだ。

ここから状況的かつ論理的必然として「メディアの政治学」ともいうべき領域に入ることになる。
以下「後篇」

 

前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポスト アナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。誰もやってないことが色々出来て面白かった。その後、TBSメディア総研社長。2010年6月” 仕事”終了。でも、ソーシャル・ネットワーク時代のテレビ論への関心は持続している・・・つもり。で、「あやブロ」をとりあえずその<場>にしている。 「あやブロ」での通称?は“せんぱい”。プロフィール写真は40歳頃(30年程前だ)、ドラマのロケ現場。一番の趣味はスキー。ホームゲレンデは戸隠。

 

 

固定ページ:
1

2

  • “Presented by…”vs“平場論”―何処にメディア変革の眼/芽があるか― はコメントを受け付けていません
  • 前川英樹
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメントは利用できません。

20133/6

「英国のテレビは面白い!」プラスの生態圏とネットメディア化

―創造性を重視している、あるいはそう謳っている 4月から、BBCには新しい経営トップ(現ロイヤル・オペラハ…

20177/14

あやぶろ復活第1弾!NHKの同時配信についてホウドウキョクで話しました

実は、先月末で38年間働いたTBSを完全に離れ独立、フリーランスとなりました。この3年間は、TBSの関連会社2社の社長業が忙しすぎて、この「…

20136/20

のめりこませる技術

 パロ・アルトのフォーチュン・クッキー 「出るから、入りな」 どこからか歩いてきたサングラスのオバサンが指差した。 パーキング前で…

20132/20

テレビがつまらなくなった理由

番組が当たる確率は2割から2割5分 かつて私が制作現場にいた頃は、新番組を4つ5つスタートさせて1つが当たれば大成功だと言われ…

20145/26

ドワンゴ会長の示すメディアの未来

5月14日、ドワンゴとKADOKAWAの経営統合が発表された。 そして統合した会社の代表取締役会長になるドワン…

ページ上部へ戻る