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	<title>地獄でなぜ悪いと東京ガガガ へのコメント</title>
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	<description>テレビの中の人による唯一のテレビ論、メディア論ブログ</description>
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		<title>独立メディア塾 &#124; ホームレスメディア より</title>
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		<dc:creator><![CDATA[独立メディア塾 &#124; ホームレスメディア]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Nov 2013 04:06:30 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[[&#8230;] 写真展TOKYO1970で知った内藤正敏さんの作品「東京」にも面白い人がたくさん紹介されてる。 鼻から蛇をいれ口に出す女性とか、元スパイの浮浪者、深夜ゴミ捨て場を徘徊するネズミなどなど。 人形町を散歩するのと同じくらい脳内が刺激される。 内藤氏は都会の異物をハレの闇と呼び、そこに芸能・文化の未来を見た。異物を見ることで他者を知り、他者を知れば新たな知性が生まれる。 お互いが交わらなくても、同じ空間に共存する距離感。園子温監督の東京ガガガのように、まぜっかえすことはしない。参考：地獄でなぜ悪いと東京ガガガ。 自分は一度、空き缶でいっぱいのリアカー引いてるオジサンに読み終わったFACTAって雑紙を手渡したことがある。そしたらなぜか「よお」って言われた。 酒盛りのネタにでもしておくれ。 ホームレスといえば、先日NHKのドキュメント72時間で“広島太郎”を探してっていう番組をしていた。広島の繁華街に暮らすホームレスのオジサンを探す番組。 結局会えなかったのだが、淡々と広島太郎を探す感じが、今風でリアルだった。内藤正敏さんの執念深さとは正反対な感じ。どちらも、その時代のメディア的空気感なんだろう。 広島太郎や高架下のオジサンは、内藤さんの紹介した闇というより光の世界の住人だろう。高架下のオジサンが叫んだ収入格差は、光の世界のなかでの格差である。 そして、NHKのドキュメントが淡々とした感じだったのは、闇の世界にまでカメラが踏み込んでないからだ。というより、踏み込む闇が都市の内部に無いのかもしれない。 以前書いたテレビ三角論でメディアの役割は提示であると考えた。なにを提示したらいいのか？内藤さんの写真を見てると、それは闇であると思える。しかし、闇が消えつつあったらどうだろう。 提示する役割が消えたら、メディアには結局一斉同報といった機能しか残らない。つまり、視聴率や部数といったビジネス的な要素だけ。 ただ、どんな時代にも闇は残るし、闇にダイブするメディア的な人は出現する。そんな人が次のメディアを作っていくんだろう。 [&#8230;]]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>[&#8230;] 写真展TOKYO1970で知った内藤正敏さんの作品「東京」にも面白い人がたくさん紹介されてる。 鼻から蛇をいれ口に出す女性とか、元スパイの浮浪者、深夜ゴミ捨て場を徘徊するネズミなどなど。 人形町を散歩するのと同じくらい脳内が刺激される。 内藤氏は都会の異物をハレの闇と呼び、そこに芸能・文化の未来を見た。異物を見ることで他者を知り、他者を知れば新たな知性が生まれる。 お互いが交わらなくても、同じ空間に共存する距離感。園子温監督の東京ガガガのように、まぜっかえすことはしない。参考：地獄でなぜ悪いと東京ガガガ。 自分は一度、空き缶でいっぱいのリアカー引いてるオジサンに読み終わったFACTAって雑紙を手渡したことがある。そしたらなぜか「よお」って言われた。 酒盛りのネタにでもしておくれ。 ホームレスといえば、先日NHKのドキュメント72時間で“広島太郎”を探してっていう番組をしていた。広島の繁華街に暮らすホームレスのオジサンを探す番組。 結局会えなかったのだが、淡々と広島太郎を探す感じが、今風でリアルだった。内藤正敏さんの執念深さとは正反対な感じ。どちらも、その時代のメディア的空気感なんだろう。 広島太郎や高架下のオジサンは、内藤さんの紹介した闇というより光の世界の住人だろう。高架下のオジサンが叫んだ収入格差は、光の世界のなかでの格差である。 そして、NHKのドキュメントが淡々とした感じだったのは、闇の世界にまでカメラが踏み込んでないからだ。というより、踏み込む闇が都市の内部に無いのかもしれない。 以前書いたテレビ三角論でメディアの役割は提示であると考えた。なにを提示したらいいのか？内藤さんの写真を見てると、それは闇であると思える。しかし、闇が消えつつあったらどうだろう。 提示する役割が消えたら、メディアには結局一斉同報といった機能しか残らない。つまり、視聴率や部数といったビジネス的な要素だけ。 ただ、どんな時代にも闇は残るし、闇にダイブするメディア的な人は出現する。そんな人が次のメディアを作っていくんだろう。 [&#8230;]</p>
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