テレビは何のためにあるのか?
テレビの未来はない?
10月1日開催された「あやぶろナイト」では「テレビの未来」というテーマが掲げられ、刺激的で大胆な意見が交わされた。パネルの最後のほうでは「テレビに未来はあるのか」というお題が出され、登壇者の志村さんからは、根拠はないとしながらもテレビに未来はないんじゃないか、という意見が飛び出た。
そのとき満員の会場に何となく笑いが広がったが、あの笑いは何を意味していたのだろうか。
日本のテレビに未来はないのか?
確かに、こんなことを考えて答えを見つけようとするのは、テレビ放送関係者だけだろう。一般の国民、市民、住民はどこかのテレビ「局」がつぶれようが、自分に直接関係がなければ遠い世界の経済ニュースの一つであるだけだ。
ただし、今の商業放送型のテレビ放送がなくなれば、困る人は間違いなくいる。だからテレビを必要とする人たちがいる限り、テレビの未来はどんな形であれ確実にある。
つまらない、くだらない番組が多いとか、そういった番組のクォリティに関する議論は常にこれからも起こるだろうし、批判にも常に晒されるだろう。
ネットからの映像にのめり込む人も当然増えていくだろう。
でもテレビを必要とする人たちがいる限り、政府から免許を預かるテレビ局には番組を送り届ける責任がある。
高齢化社会の現実
私は、一人暮らしを続けているお年寄りを何人も知っている。
高齢者は体が徐々に不自由になり、段々外出するのも億劫になる。年金だけで生活していると経済的にも交友関係を広く保つのは難しくなる。
そういう人たちの多くが、一日の起きている時間のかなりの時間を、テレビを見て過ごす。テレビ番組を通じて、世の中の動きを知り、時代の風を感じ取っている。
もちろん読書をしたり、地域の新聞に目を通したり、習い事や趣味の世界に楽しみを見出すこともあるだろう。しかし、特に夕食後の夜の時間帯は単身者にとっては孤独の時間帯であり、漠然とした不安に駆られる時間帯となる。
そういうときに好きな俳優の出るドラマを見たり、若かったときに好きだった歌を聴いたり、くだらないバラエティにしばし没入し、スポーツで若い肉体が躍動する姿に見惚れ、やがて自然に眠くなる時を待つ。
だから、スイッチをつけるとすぐに番組が流れ出す即応性の高いテレビ受像機は、多くのお年寄りにとって、生きるうえでなくてはならない楽しみとなっている。リモコンも若い世代は馬鹿にしがちだが、お年寄りにとってはスマホなんかより格段に使いやすい。タブレットで動画をみようとしても画面が小さく手間もかかるが、テレビはオンオフのスイッチを入れてチャンネルを選択するだけだ。
世界に類例をみないほどの高齢化社会に向かって驀進している日本の社会には、テレビは絶対になくてはならない道具だ。それは、かりに身近に高齢者がいなくても、老後の世界に思いを馳せれば容易に分かることだろう。
確かにデジタルシニアも間違いなくこれから増えていき、70歳を過ぎてもタブレットを駆使してサクサクとSNSで投稿し、ネット配信の動画を楽しむ人も今よりは大勢出てくるだろう。しかしスマホやタブレットの操作を苦にしない人は、まだまだ少数派であるのが現実だ。
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