11・2【TVフォーマット最前線 at TIFFCOM2012 – アイデアか表現か -】志村一隆
外国語で考えることと多層な情報空間
TIFFCOM会場
先日、あやぶらぁ杉山さん、民放の方3人と、TIFFCOMで、「TVフォーマット最前線」というセッションをした。
全編英語だったのだが、とても開放感があってヨカった。母国語とは違う言語でコミュニケーションを取り、考え事をするのは、自分の内側に複数の思考回路があるようで、爽快だ。(参照:ついでに英語で書いてみた。コチラ)
それは、境さんが「(ソーシャルメディアが)国家というものを、少し落ち着いてとらえる、そんな視点をくれる」(8/31ポスト「メディアとソーシャルに国家が何をするのか」)と述べたのと似たような感覚ではないか。
外国語が話せなくても、多層なメディア空間が、我々に複数の視点を提供してくれ、個人の思考が自由になり、自由な議論につながれば、もっと爽快な世の中になりそうだ。現実が違うのは、あやぶろで議論している通りだが、マス+ソーシャルなメディア空間は爽快な気分で使いたい。
レシピ
セッションに備えて色々調べていたとき、フォーマットビジネスは海賊版対策が課題であることがわかった。
そして、以前ミョーに心に引っかかったテレビ番組のワンシーンを思い出した。
居酒屋のオカミさんが、「ウチのダンナは、他店で美味しい料理を見つけると『どうやって作るの?』って尋ねて、自分で作って店で出してみる。とても熱心だ」と言うシーンだ。
その引っかかりは、人のアイデアを真似て原稿を書くことはよくないことだという自分の常識と、テレビに映るオバさんの誇らしげな表情が、どうもチグハグしたことによる。
ひょっとして、レシピ=アイデアを真似ることは、人間として自然の行動なのか。「学び」は「まねび」とよく言うし。著作権があるので真似てはイケナイというのは、社会から洗脳されているのだろうか。
とりあえず、文化庁の著作権について説明されているページには、下のように書いてある。
(2)思想又は感情を「表現したもの」であること
➡ アイデア等が除かれます。(参照:文化庁のページ)
何かに表現していない「アイデア」は自分で「特許」申請し、受理されて初めて「自分」のモノとして主張できるらしい。いっぽうで、著作権は「表現」した瞬間に、著作者に付与される。
なるほど、表現したかでとりあえず線引きをしている。頭で考えている「アイデア」を自分のモノであると主張するには、①「表現」するか、「特許」として②認可される必要がある。
TVフォーマットの著作権
セミナーの冒頭「TVフォーマットとはなにか?」と杉山さんに尋ねた。答えは、「レシピ」だった。
レシピ通りに作れば、人気番組が作れる。TVフォーマットは、制作ノウハウ、テーマ音楽、ロゴなども含まれる。番組ノウハウをパッケージ化した商品なのだ。
そのノウハウを記したものを「Bible」と呼ぶ。これには著作権が発生するだろう。しかし、アイデアとしてのTVフォーマットには著作権が付与されない。
杉山さんの冒頭の答えは「TVフォーマットにも料理のレシピにも著作権がない」ことを含めていたのだろうか。
著作権整備のためかFRAPAという団体が、フォーマットを登録するデータベースを構築している。その紹介ページには「フォーマットのコピーライトは、作品を制作した時点で付与される。このデータベースは、その瞬間を記録として残すことにある」と書いてある。
創作物と私的財産と国家
セッションが終わってから、著作権について気になったので、調べていて面白そうな本を読んでみた。
百万人当たりの作曲家数は<中略>、イギリスでは著作権導入後、ドイツやイタリアと比べるとかなり急激に、<中略>減少しているのがわかる。
(p.266、<反>知的独占 特許と著作権の経済学、ミケーレ・ボルドリン、デヴィッド・K・レヴァイン 山形浩生/守岡桜 訳 NTT出版)
この書物の論点は、著作権が保護された環境で一部の知的独占者が得る利益よりも、著作権が無いと、知識取得コストが低いので自由なイノベーションが連続して起こり、社会全体の利益は大きいのではないか、という点だ。
また、白田秀彰氏の「インターネットの法と慣習」には、「神聖知財帝国」という話が出てくる。
知的財産権に基礎を置いた「くに」が秩序立って成立するためには、今の所有権と同じくらい人々から承認されなければならない。
(p.107、インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 ソフトバンク新書)
参考:上記の「<反>知的独占」は、白田秀彰氏のサイトで知った。ちなみに、「<反>知的独占」の原文はココで公開されている。
著作権、コピーライトの違いなどは白田氏のコピーライトの史的研究に詳しい。氏の講演の様子はうぐいすリボンで見られる。
ティム・ウー氏は「ネット中立性」で著名だが、彼の「私権力」という言葉のなかには、知的財産を独占する大企業=経済的な権力が念頭にあるのだろう。
公権力だけでなく、私権力も権力であることに変わりはない。<中略>情報の「流通」「伝送」「展示・公開」に関わる部分での権力の集中を無視してはならない(p.348、マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ ティム・ウー、坂村健 監修・解説、齋藤栄一郎 訳、飛鳥新社)
こうした論考を読んでいると、確かに著作権など無いほうが社会全体ではより豊かになる気がしてくる。そうは言っても自分で考え(無償なものを含む様々な影響を受けながらにしても)、労力をかけた創作物をマネされ、他人が儲けるのはあまりいい気はしないのだが。。
それよりも、これらの議論には必ず国家や権力の話が出て来たことに少し興奮を覚えた。そして以前、芸術と国家、テレビと権威についてあやぶろで議論したことを思い出した。(参照:5/17ポスト テレビ三角論)
著作権という視点から、知的な生産物・創作物が「くに」の権威から離れて、私的に成立(表現?ビジネス?)する要因はなにか?、というテーマはこのあやぶろでももっと研究してみてもいいのではないか。
フォーマットが想起したモバイル時代のメディア
アイデアと作品の新たな関係
今回のセッションと、上記の3冊、及び白田氏のサイトからインスパイヤされ、こんなことを考えた。
それは、アイデアと創作物、そして商品としてのコピー(複製物)、どこまでを管理し収益領域とするかは、今後テレビ局だけでなく、伝送路が融合していくであろう日本のメディア産業の制度設計においてとても重要なテーマではないか?ということだ。
いままでは、ハードとソフトが統合してこその「放送・テレビ」であり、技術が生み出すテレビ表現という概念がテレビを成立させていた。テレビの拡張性は、ハードの拡張領域までであり、そこにテレビ論の限界があった。
伝送路融合におけるソフト・ハード議論のソフトは映像を指していただろう。映像を放送かネットか?どちらでユーザーに届けるのが利に適うのかという議論である。
今回、フォーマットのセッションに参加して、今我々が経験しているデジタル化が突き進むと、映像も商品(複製物)であり、究極的にはアイデアだけが残るのではないかと感じた。
ネット上の情報を集めて新聞仕立てにしたり、テキストを漫画に自動で生成するアプリが既に世の中にある。そのうち、テキストから映像を自動生成するアプリも出てくるだろう。
つまり、アイデア・コンセプトがあれば、ユーザーに提示する表現様式は映像だけでなく、ゲーム、小説に自動変換されるのではないか。
昔グーグルTVを調べていたとき、ニューヨークタイムズもCNNも映像で勝負していることに別次元の競争が起きていると感じた。伝送路とスクリーンが融合すると、コンテンツの融合も起きる。
デジタル・イノベーションは、オリジナルファイルをクラウドに保管し、それをマルチスクリーンに提供する段階にまで進んでいる。スクリーン上での表現の差異(黒みがよくでるなど)は消滅してしまった。
その技術の進歩は必ず創作活動にも影響を与えるだろう。練られたアイデアに価値があり、表現物(複製物)にはそれほど価値を置かない考え方も出てくる違いない。
そして、それを運営するメディア企業は、シリコンバレー型のエコシステム運営のほうが、多数で多様なアイデアを受け入れることができ合理的である。
今回のフォーマットのセッションは、色々な勉強になった。(参考:9/10ポスト 無数のスマホに記録される記憶:「時間」と「空間」のメディア論)
TVフォーマットについて、諸々。
①市場規模、2009年9.3億ユーロ
②輸出国1位は英国、2位は米国、3位オランダ、4位アルゼンチン
③輸入国1位はスペイン、2位はフランス
④大手プレイヤーは、フリマントルメディア(Fremantle Media、英国)とエンデモル(Endemol、蘭)
⑥バラエティ番組の1コーナーでもフォーマットに成りうる。たとえば、世界40地域で放送されている「Hole in the Wall」は「脳カベ」フォーマットで制作されている。
日本では1コーナーであった「脳カベ」は、米国では視聴者参加の60分番組。
⑦全世界でテレビ局は約27,000局ある。
参照:FRAPA(The Format Recognition and Protection Association)、英国Bournemouth大学のページ
志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取 締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka
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